「今だからこそ伝えたい」児童文学者・古世古和子さん 戦争体験を語る  8月22日・八王子市で

古世古和子さん

古世古和子さん

 戦後72年ともなると、先の大戦体験を語れる人は高齢化し、限られてくる。その残り少ない体験者として、「今だからこそ伝えておきたい」と言う児童文学者・古世古(こせこ)和子さん(88・八王子市)の戦争体験を語る会が、8月22日13時半から、八王子駅北口から徒歩8分、延立寺別院・アミダステーションで開かれる。

ランドセルを背負った地蔵に戦争の悲惨さが

肩ひもの一方が切れてしまったランドセルを、右肩にかけている石地蔵

肩ひもの一方が切れてしまったランドセルを、右肩にかけている石地蔵

 八王子市の北西部、泉町に相即寺という浄土宗の古刹がある。山門近くに天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉により滅ぼされた八王子城落城で、戦死した283人の同寺縁者を供養する地蔵堂がある。
 本尊の延命地蔵尊の周囲三方を、150体の石地蔵が取り囲んでいる。約80㌢丈の1体の肩に、ボロボロのランドセルが掛かっている。肩ひもの一方は、切れてしまっている。「あの日から72年。終戦の年の7月8日、米軍の機銃掃射で、このランドセルの持ち主の小学4年男児は、即死状態で命を奪われた」と、古世古さんの声が堂内にこだまする。八王子城落城の6月23日、ランドセルの持ち主児童の命日7月8日、8月8日に地蔵堂は公開されている。
 大戦末期1944年夏から、元八王子村と呼ばれた相即寺付近にも、東京都内から小学生約200人が集団疎開。分散して寝泊まりしながら、授業を受けていたが、公的な資料には殆ど記されていなかった。
国際児童年(1979)、学童集団疎開を題材にした『家出ねこのなぞ』の出版以来、ランドセルを背負った地蔵の存在など事実が次々に明らかになり、3部作に。(いずれも新日本出版社刊)

国際児童年(1979)、学童集団疎開を題材にした『家出ねこのなぞ』の出版以来、ランドセルを背負った地蔵の存在など事実が次々に明らかになり、3部作に。  (いずれも新日本出版社刊)

 「幼い児童が親元を離れて、寺の本堂や保育所、公会堂で集団生活を強いられた。一人の疎開児の死亡の背後に、何百万の戦争犠牲者を生み出した歴史がある」と、古世古さんはその事実を丹念に掘り起こし、『家出ねこのなぞ』『ランドセルをしよったじぞうさん』『かかしの家』3部作を発表してきた。

10歳から旧満州で

 昭和4年(1929)、古世古さんは三重県に生まれ、10歳の時、父が軍属として旧満州(現在の中国東北地方)に赴任したため、一家6人も渡満。当時、日本は深刻な不況から脱するため、旧満州の植民地化を国策として、百万戸の移住計画が進められていた。
 和子さんは子ども心に現地人と日本人の生活格差に、複雑な思いを抱えながら、延吉、牡丹江などの小学校を転々。大連の女学校4年生の時、敗戦を迎えた。当時、軍部隊の大半は南方へ移動、30万人以上の開拓団員、それも老人か女性と子どもばかりが置き去りにさせられた。
 昭和22年1月、古世古さんは日本に引き揚げてくるまで、死んだ乳幼児を背負って歩く女性たちの姿を、どれほど見てきたことだろう。「だから、リュックは背負いたくない」と、長年拒み続けて来たと言う。

子どもたちが平和で健やかに育って欲しい

地蔵が背負ったランドセルの持ち主の児童の命日7月8日には、供養に訪れる古世古和子さん

地蔵が背負ったランドセルの持ち主の児童の命日7月8日には、供養に訪れる   古世古和子さん

 今の日本は一見平和で豊かに見えるが、親から虐待や育児放棄されたり、学校でイジメを受けて、自殺に追い込まれる児童生徒の事件も絶えない。「子どもは守られる権利があり、健やかに育って欲しい」と、古世古さんは小学校教諭を13年勤めた後、児童文学創作活動を半世紀以上、約40冊の本を発表。
 腰痛と闘いながらも、古世古さんは「知らず知らずに、戦争に追い込まれて行った、自分の子ども時代と最近の様相が似ている」と危惧し、今、戦争体験を伝えておかなければと、講演活動にも力を入れている。




     ◆◆◆  古世古和子さんのお話会 「私の体験した戦争」  ◆◆◆

 日  時:8月22日(火)、13時30分~15時30分
 場  所:アミダステーション(延立寺縁側)
     八王子市東町3-4(JR八王子駅北口より徒歩8分)
 参加費:500円、学生200円
 申  込:電話070-5567-0168 (八王子市民のがっこう「まなび・つなぐ広場」)

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