『帰ってきたおばあさん』 中国残留婦人の半生演じ22年 神田さち子さん 11月17日・日野市で一人芝居

「戦争は弱いもんが、犠牲になるとです」と言い残して、夫や子どもたちの待つ中国へ帰って行った中国残留婦人。60年ぶりに念願の祖国の土を踏んだのに…。その一言に背を押されて22年、彼女の半生を演じる神田さち子さん(74=調布市)の一人芝居『帰ってきたおばあさん』が、今月17日13時半から、日野市七生公会堂で開かれる。戦後73年も経ち、昭和が遠くなる時代だからこそ、演じて行かなければと、神田さんは燃えている。197回目の上演だ。

一人の中国残留婦人との出会い

昨年山田洋次さんらと澄和(とわ)Futurist賞に輝いた神田さち子さん。同賞は平和な未来への思いを持ち、意義ある活動に贈られる

昨年山田洋次さんらと澄和(とわ)Futurist賞に輝いた神田さち子さん。同賞は平和な未来への思いを持ち、意義ある活動に贈られる

 1996年秋、ノンフィクション作家の良永勢伊子さんに誘われた会合で、神田さんは一時帰国中の中国残留婦人に出会った。鹿児島出身の看護師見習い中、「大陸に渡れば、10町歩の土地が持てる」と夢を抱く青年と結婚、旧満州(中国東北地方)の開拓に向かった女性だった。
 冬は零下30℃にも下がる大地だったが、夏は大豆が山のように収穫でき、三人の子どもにも恵まれた。しかし、昭和20(1945)年8月8日、突如ソ連軍の攻撃と殺戮で死地に。二女は彼女の背中で息を引き取り、残った二人も手拭いで首を絞めるよう追い込まれた。暴徒化した匪賊に襲われ、夫にも見捨てられた。何処をどう彷徨ったか…気が付いた時は農家のわら布団に寝かされていた。
 国策で大陸に送られ、日本の敗戦時に27万人もが現地に取り残され、残留せざるを得なかった中国残留婦人との出会いが、神田さんの一人芝居へのスタートであった。

語りから一人芝居への挑戦

旧満州の地図を背に熱演する神田さん。舞台写真・犬塚治男さん撮影	 	  中国服を渡されて「これを着て中国人になれ」と言われ困惑する主人公=「帰ってきたおばあさん」より

旧満州の地図を背に熱演する神田さん。舞台写真・犬塚治男さん撮影
中国服を渡されて「これを着て中国人になれ」と言われ困惑する主人公=「帰ってきたおばあさん」より

 二人の子どもたちに読み聞かせから、民話の語り部として活動を始めた神田さんは、91年、テニスのプレー中の夫が心不全で急死した。
 夫の死から立ち直れないでいる神田さんの語りの公演で、俳優の奥村公延さんから「君の語りの間は凄いね」と声を掛けられた。自信を得た。
 その後、『赤い夕陽の大地』で、ヒューマンドキュメンタリー大賞を受賞した良永さんと出会い、『帰って来たおばあさん』の脚本を書いてもらう。試験公演を観て貰ったNHK大河『天と地』『春の坂道』で知られる脚本家・杉山義法さんから「女を描けてない」と、上演台本、演出の手直しを受けて96年に初演にこぎつけた。
 以来22年、196回上演を重ねてきた。「私と母も残留邦人になっていたかも…」。撫順で生まれ、2歳のとき両親と兄と共に大陸から引き揚げて来た神田さんは、日本から見放され、残留せざるを得なかった人たちへの思いを、この一人芝居に賭ける。亡夫への追慕も込めて。

200回まで頑張りたい

02_P152_01_11 スポットライトだけで浮かび上がる簡素な舞台に立ち、20代から80代までの中国残留婦人を演じる90分。一回、一回が闘いだ。とちってはいけないと緊張の連続だが、パワフルに演じる神田さん。
 60年ぶりに日本の土を踏んで、「日本も日本人も変わってしまった」とつぶやき、「私たちのことを忘れないで」と言い残して、中国へ戻って行った残留婦人の折れ曲がった背中を思い浮かべると、200回までは頑張らねばと。

 日野市七生公会堂での『帰ってきたおばあさん』一人芝居は、11月17日13時開場、13時半開演。前売り3000円、当日3500円。小中高生1000円。申込みはTel&Fax042・480・9369神田さん、090・7213・2167窪田さん。会場へは京王線高幡不動駅から徒歩5分。

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