石田波郷 生誕100年 -清瀬で広がる「俳句の街」構想-

代表作を清瀬で詠む

出前授業 学校で熱心に指導する俳人の谷村鯛夢(たいむ)さん(64)。谷村さんはジュニアの部の選者の1人

出前授業 学校で熱心に指導する俳人の谷村鯛夢(たいむ)さん(64)。谷村さんはジュニアの部の選者の1人

 戦後の俳壇をリードした俳人・石田波郷(はきょう=1913~69)。代表作の数々は、清瀬での結核療養中に生まれた。それを縁に清瀬を俳句で盛り立てようと、4年前から市と実行委員会の手によって「石田波郷俳句大会」が開かれている。市内では子どもたちも俳句に親しみ、年々投句数は増加。生誕100年の今年、その機運はますます高まっている。

 石田波郷は、正岡子規や高浜虚子ら多くの俳人を輩出した愛媛県松山市出身。幼くして俳句で遊び、19歳で上京。水原秋桜子門の代表的な俳人となった。韻文精神を高らかに唱え、「切れ」を大切にし、中村草田男や加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。
 清瀬との縁は1948年に始まる。結核を患った波郷は、当時先端的な結核治療施設であった国立療養所清瀬病院(現・東京病院)に入院。療養中に詠んだ俳句を編んだ句集『惜命(しゃくみょう)』(50年)は、病苦のなかで詠まれた「療養俳句」の分野の最高傑作といわれる。
 その後も波郷は入退院を繰り返しながら作句した。清瀬中学校の校歌を作詞するなど地域と深い関わりをもちながら、清瀬で亡くなった。
 「隗(かい)」主宰の俳人・大山雅由(まさゆき)さん(66=清瀬市)は、「波郷は昭和を代表する俳人で療養俳句の金字塔。病を得る前の句は、明るく瑞々しく青春性にあふれています」と言う。

市民参加の俳句大会

清瀬病院で療養生活を送っているときの石田波郷(1950年)

清瀬病院で療養生活を送っているときの石田波郷(1950年)

 波郷の功績をたたえるなら清瀬こそその舞台にふさわしいと考えていた大山さんは、俳句大会を発案。没後40年の2009年に、第1回「石田波郷俳句大会」が実現した。
 4回目の昨年は一般の部に1940句、小中学生が応募するジュニアの部には4802句も寄せられた。今年も10月の開催に向けて、7月31日まで作品を募集している。
 大会のもう一つの狙いが、若い世代に俳句の種をまくことだ。30歳以下が対象の新人賞は、受賞作が雑誌「俳句」(角川学芸出版刊)に掲載されるとあって、特に俳壇からの注目度が高い。第1回受賞者の西村麒麟さんらのその後の活躍が目覚ましく、大会は若手俳人の登竜門になった。
 大山さんら数人の実行委員である俳人は毎年、市内の全小中学校で国語などの時間に「出前授業」を行い、子どもたちを直接指導。年々作句に慣れて、授業中に気負うことなく季語を入れて20句ほどつくる子もいるという。
 また市報「きよせ」には昨年8月15日号から「清瀬こども俳句」コーナーが設けられ、毎月小中学生各3人の作品が紹介されている。

西の松山、東の清瀬

清瀬病院の跡地である清瀬中央公園の碑の前で俳句を詠む大山雅由さん。石田波郷の句碑もこの公園内に建つ予定

清瀬病院の跡地である清瀬中央公園の碑の前で俳句を詠む大山雅由さん。石田波郷の句碑もこの公園内に建つ予定

 今年はまた波郷の生誕100年を記念して、句碑建立の計画が進む。彫刻家で名誉市民の澄川喜一さんや俳句大会の選者たちが今春「波郷句碑建立の会」を設立。呼びかけに応じた清瀬市民や俳壇450人から寄付が集まった。国立療養所清瀬病院の敷地であった清瀬中央公園に9月29日に建てられる。
 「この句碑を起点に、俳句散歩ができるようになれば」と期待を込める大山さん。目指すは清瀬市を松山市と並ぶ「俳句の街」にすることだ。かつて「病院の街」として知られた清瀬が、その歴史によって変わろうとしている。

石田波郷の俳句
あえかなる薔薇撰りをれば春の雷
夜桜やうらわかき月本郷に
七夕竹惜命の文字隠れなし
遠く病めば銀河は長し清瀬村
朝森はえご匂ふかも療養所

第5回 石田波郷俳句大会

7月31日まで作品募集中、10月27日に表彰式。
◆石田波郷賞(一般の部)=2句1組(清瀬に思いを寄せる句1句と自由題1句、または自由題2句)、1000円。
◆石田波郷新人賞=20句1組(内容自由)、無料。30歳以下対象。
◆ジュニアの部(小中学生)=1句ずつ募集(内容自由)、無料。
応募方法など詳細は電話番号042-495-7001 大会実行委員会

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