「お帰りなさいDr.肥沼」 独で医療に尽力、没後71年を経て帰還 顕彰碑除幕 八王子市で

 9月3日、八王子駅北口・西放射線ユーロード沿いの中町公園で、肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)博士を顕彰する碑の除幕式が行われた。生家跡に近い同公園には300人を超す市民が、八王子学園八王子高校吹奏楽部によるファンファーレと共に、除幕を見守った。ドイツ北西部のヴリーツェン市で没して71年後、同博士の魂は父祖の地に帰還した。

東西の壁で献身的行為も日本に伝わらず

9月3日除幕された肥沼博士の功績を後世に伝える顕彰碑。塚本代表(右)と石森八王子市長=八王子市

9月3日除幕された肥沼博士の功績を後世に伝える顕彰碑。塚本代表(右)と石森八王子市長=八王子市

 博士の写真の下に「お帰りなさい Dr.肥沼」と刻まれた顕彰碑は、台座を含めて1.9m。桜色がかった御影石製の碑を、八王子市に寄贈した「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」代表の塚本回子(かいこ)さんが、草の根的な活動を始めて12年に。
 それまで日本で知る人のほとんどなかったDr.肥沼だが、ポーランドとの国境に近いヴリーツェン市では第二次世界大戦終結直後の壊滅状態から多くの命を救った恩人として、その功績が顕彰されている。小中学校の教科書にも取り上げられ、名誉市民として敬われている。
 ソ連侵攻により押し寄せた難民、困窮する市民に蔓延した発疹チフスなどの伝染病患者に、たった一人の医師として治療に尽した。医薬品や食糧の調達にも奔走し、自身も1946年3月8日、発疹チフスで没してしまった。37歳の若さで。
 その後、東西ドイツの分断で、東独側になったヴリーツェン市のDr.肥沼の消息は、東西の壁に阻まれ、日本に届かないままに。

「誰かのために生きてこそ人生には価値がある」

ドイツ留学前の肥沼信次博士=姪の松尾奈津子さん提供

ドイツ留学前の肥沼信次博士=姪の松尾奈津子さん提供

 9月3日、八王子駅北口・西放射線ユーロード沿いの中町公園で、肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)博士を顕彰する碑の除幕式が行われた。生家跡に近い同公園には300人を超す市民が、八王子学園八王子高校吹奏楽部によるファンファーレと共に、除幕を見守った。ドイツ北西部のヴリーツェン市で没して71年後、同博士の魂は父祖の地に帰還した。

「Dr.肥沼の思いを後世に伝えたい」と顕彰碑に込めて

2017年7月、Dr.肥沼が伝染病患者の診療に献身していた当時の看護婦ヨハンナ・フィードラーさん(90歳)とも再会

2017年7月、Dr.肥沼が伝染病患者の診療に献身していた当時の看護婦ヨハンナ・フィードラーさん(90歳)とも再会

 塚本さんは12年前、元ベルリン大学の客員教授から、Dr.肥沼の業績を聞く機会があった。「地元八王子にも、素晴らしい人がいたんだ」と、感激して仲間を誘って、半年後にはヴリーツェン市へ。人口約7000人の同市だが、Dr.肥沼の墓地は市民の手で守られ、当時の伝染病医療センターの建物は市庁舎に使われていた。そして生存している看護婦から「Dr.コエヌマは、薬は他の患者にと言って、息を引き取られた」と聞かされた。
 塚本さんは同行したメンバーとDr.肥沼への想いを温め、2015年「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」の前身を発足。翌年には博士の母校のOB、地元有志も加わり、組織を強化。顕彰碑建立に向けて募金活動を始めた。
 八王子市市制100周年を迎える今秋。「ささやかなことでいいから、他人に尽す心を」と顕彰碑に込めて、除幕式はそのスタートだと。

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