腰原光代さん 国分寺市で2月17日から
コロナ禍の中、施設が遠方ということもあり、なかなか会えない姉に2019年3月1日から1年間、毎日絵手紙を送った人がいる。国分寺市新町の絵手紙講師・腰原光代さん(80)。その365通の絵手紙を中心に腰原さんの個展「笑顔をはこぶ365日展」が2月17日から、司画廊(国分寺市本町)で開かれる。
姉の健康を願い感謝の気持ちを込めて
今回展示するために、パネルにアトランダムに貼られた365枚の絵手紙を見ると、季節の花、野菜、季節感が感じられるくだもの、おもちゃなどいろいろ。
中には自分たち姉妹を表現しているのか、はがきからはみだしそうに女の子の笑顔が2つ。そこには「今日も 明日も 一緒よ」と言葉が添えてある。ピンクのスイートピーの花には「あしたも 明るい」と文字が。
腰原さん姉妹は岐阜県出身。姉の鵜飼律子さん(92)が長女で、長男、そして三番目が腰原さん。下に2人の弟がいる。
腰原さんが銀行マンと結婚して長男を産んだ年に母親が亡くなった。「姉は育児に悩む私を助けてくれました。現在、愛知県の高齢者福祉施設にいますが、コロナで会うことができないので、1年間という目標をもって絵手紙を姉に書き続けました」。
腰原さんが毎日送った絵手紙は、施設のスタッフが鵜飼さんの自室のボードに貼ってくれた。他の入居者も腰原さんの絵手紙を楽しみにしてくれて、鵜飼さんの部屋に毎日遊びに来てくれた。
「1枚の絵手紙が、入居者さんや、介護士さんたちを楽しませ、元気づけてくれる、そんな絵手紙の力を感じました」。
「ヘタでいい、ヘタがいい」という言葉に惹かれて
転勤族だった腰原さん一家が国分寺に住まいを定めたのが1983(昭和58)年。「当時の私は子ども2人を抱えてストレスで病気がちになっていました」。
そんな時、国分寺市光公民館で、絵手紙の創始者・小池邦夫さんの講座が始まった。「上手に描こうとするな、素直に心を表現することが大事」という小池さんの言葉に心が丸くなる自分が感じられた。以来30年以上も絵手紙を書きつづけ、今では地元と小金井市などで4つの教室の講師を務める。
日本絵手紙協会の企画「自分で光れ」に参加
365日毎日絵手紙を書いて、新しい自分を発見してみようと、2019年、絵手紙の日の2月3日からスタートした日本絵手紙協会の企画「自分で光れ」に腰原さんも3月から参加。翌年2月まで毎日、絵手紙を姉に出し続けた。
「さて、今日は何を描こうかな、と常にまわりに関心を持つようになりましたね。題材を探しに、散歩に出かけたり」。一日も欠かすことはできないので、夫の長野の実家に法事で行く時もはがきと道具は持っていった。
同企画にエントリーした人は全国で1905人。そのうち多摩地域からは65人。腰原さんはその一人。
この企画は差出人と受取人との絵手紙による交流も目的とされていた。「姉はもう文字を書けないので、返事はもらえていませんが、昨年11月に今回の個展の報告をしに会ってきました。ガラス越しの面会でしたが、姉のうれしそうな笑顔に会うことができました」
■腰原光代の 笑顔をはこぶ365日展 2月17日〜22日11時〜18時(最終日16時まで)、司画廊(国分寺駅北口5分)。はがき365枚を貼ったものを含めてパネル15枚、軸装13本を展示。入場無料。電話番号042-325-6252腰原さん