武蔵野に佇む詩人の家

茨木のり子・没後15年、その詩と暮らしに思いを馳せる 西東京市東伏見

1947年、21歳の時のお見合い写真(宮嵜治さん提供)

「わたしが一番きれいだったとき」などの詩で知られる詩人・茨木のり子が、2006年に亡くなるまでの半世紀を過ごした家が、西東京市にある。そのことを多くの人に知って欲しいと、地元の市民を中心に「茨木のり子の家を残したい会」が活動している。

家を残したい会の発足

西東京市柳沢の柳田由紀子さんは、ある記事で『茨木のり子の家』(平凡社、2010年)という本を知った。その本を読み、茨木のり子の没後は、甥の宮嵜治さんがその家を大切にしていることを知った。早速、友人たちにこのことを話し、地域住民としても地元の文化的な財産としてぜひ残したい、という思いが募った。
そして、茨木のり子の家が今でも当時のままで保管されていることが、地元でもあまり知られていないことを残念に思った柳田さん含め、5人のメンバーが集まり「茨木のり子の家を残したい会」を立ち上げた=写真。ちょうど没後10年の時だったが、地域では彼女についてのイベントが何もなく、寂しく思っていたところだった。

意匠を凝らした家

現在の茨木のり子の家(宮嵜治さん提供)

茨木のり子の家は、施工は1958年、建築家の従姉妹と一緒に設計された。上野にある国立西洋美術館の設計に携わった世界的な建築家ル・コルビュジエ(1887年―1965年)風のピロティ(1階部分が柱で吹き抜けになっている建築形式)や、山小屋風のエントランスなど、モダンなデザインが目を惹く。内部は、随所に生活を大切にした茨木のり子のアイデアが活かされている。
現在は甥の宮嵜治さんが相続し、出版社との打ち合わせなどの時に茨木のり子の家を使用しており“仕事場として現役”のため、一般公開はされていない。

全国の会員と出会い、交流

会の発足メンバー【前列右から】唐澤秀子さん、小熊ひと美さん、柳田由紀子さん。【後列右から】入澤愛子さんと会の代表の小田桐孝子さん。2019年夏、茨木のり子の家にて撮影

家を残したい会のメンバーは、まずは地元に茨木のり子が暮らしていたことを多くの人に知ってもらおうと、年4回の会報「茨木のり子手帖」の発行や、定期的なイベントを企画してきた。
没後15年の今年は、大きな集いを計画していたが、コロナ禍の緊急事態宣言のため、規模を縮小して8月に開催する予定になった。
同時代を生きた人たちはもちろん、最近は国語の教科書にも茨木のり子の詩が掲載されていることから、高校生にもファンが多いという。同会の会員も現在150人ほどに増え、地元だけでなく全国の茨木のり子ファンと、紙上で活発な交流がされている。
「悩んでいる時に出会って支えられたとか、詩を読んでハッとしたとか、人それぞれの茨木のり子との出会いがある。これからも、多くの人たちと会を通じて繋がっていきたい」と柳田さん。
■関連イベント パネル展「茨木のり子没後15年 詩と暮し〜東伏見に48年〜」7月17日まで9時〜17時、西東京市柳沢公民館ロビー(西武柳沢駅南口2分)。電話番号042-461-3246茨木のり子の家を残したい会(柳田さん)

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