吉川英治が愛した青梅 青梅市吉川英治記念館が再オープン 9月7日・英治忌に

『宮本武蔵』や『新・平家物語』など数多くの歴史・時代小説で、国民文学作家と呼ばれた吉川英治(1892〜1962年)が戦中戦後、約9年間暮らした青梅市柚木の旧居は、没後15年を経て1977年、財団法人吉川英治国民文化振興会(現公益財団法人)により「吉川英治記念館」として公開されてきたが、残念ながら昨年3月閉館。その後、同財団により青梅市に寄贈され、来たる9月7日の英治忌に青梅市吉川英治記念館として再開に!

元養蚕農家の母屋を草思堂と称して

草思堂と自らなづけた母屋

青梅線日向和田駅と二俣尾駅の中間辺り、吉野街道沿いに石垣と板塀に囲まれた青梅市吉川英治記念館。東側の路地に面した檜造りの長屋門が入口で、緩い傾斜地にある敷地は約5000平方メートル。
正面に建つ母屋は弘化4(1847)年頃の建築を、明治初期に建替えた元養蚕農家で、吉川さんは昭和14(1939)年頃に購入。都内の空襲が激しくなった19(1944)年3月、一家で移転。当初は母屋と渡り廊下でつながった洋館を書斎にしていたが、話し好きな吉川さんは、座敷で執筆。この母屋を「草思堂」と称していた。

転職を繰り返しつつ人気作家へ

吉川英治=写真提供:公益財団法人 吉川英治国民文化振興会

現在の横浜市中区に生まれた吉川さん(本名・英次)は、父親の事業失敗で高等小学校を中退後、辛酸をなめながら職業を転々。懸賞小説に応募したり、様々な筆名で出版社に作品を送り、独学で作家への道を。ことに昭和10(1935)年8月から東京朝日新聞に連載を始めた『宮本武蔵』は、剣禅一如を目指す求道者宮本武蔵を描き、新聞小説史上かつてない人気を得た。

青梅在任中は地域とも親交を

養蚕農家の名残を留める腰屋根付き母屋

大衆小説作家として不動の地位を得たものの、吉川さんは敗戦直後から3年間、筆を断った。長男英明氏の著書『父吉川英治』によると、裏庭で畑仕事をしたり、絵を描くことも。
親友の菊地寛からの求めに応じて、『高山右近』『大岡越前』で再起後、昭和25年(1950)から「週刊朝日」に連載した『新・平家物語』は、「草思堂」の座敷で執筆されたという。滅びた平家と日本をダブらせた大作で、第1回菊地寛賞を受賞した。
当時、地元に公民館建設の計画が持ち上がった際には、多額の寄付を。中学校の卒業生一人一人に俳句をしたためた短冊を贈呈したりするなど、地域の人々と親交も深めたが、昭和28(1953)年に区内へ転居。4人の子どもの通学のためだった。終生、青梅を愛し、昭和37(1962)年9月7日還らぬ人となった。没後、青梅市名誉市民に。

地域再生も目指して再開館

母屋の裏手にある洋館の一室を書斎として使っていた

没後15年、1977年「財団法人吉川英治国民文化振興会」により、「『宮本武蔵』『新・平家物語』など200作以上も傑作を生み出した吉川さんの著作、自筆原稿、所縁の資料などを閲覧できる展示館を設け、公開してきたが、2019年閉館に。
その5年前、プラムポックスウイルスで、吉野梅郷の梅林、梅の公園などの梅が伐採され、同記念館母屋前の紅梅も切り倒されたが、9月7日「青梅市吉川英治記念館」として再開館するに当って、地域再生も目指して、梅2本の植樹も行われる。
さらに母屋の草思堂内も公開し、活用していく。ガイドボランティア養成講座も予定。資料館では企画展「吉川英治が愛した青梅」を開催。
■開館は10〜17時、月曜休館(祝日の場合は翌平日。ただし英治忌の9月7日は開館する)。大人500円、中学生以下200円(青梅市内の小中学生は、土日・祝日無料)。青梅線二俣尾駅から徒歩15分、青梅駅から吉野行き都バスで「柚木」下車。問い合わせ電話番号0428-74-9477同記念館。

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