コロナ禍の中で 土と野菜と花に力をもらって

トトロの畑だより 日野市

畑仕事の帰りには必ず花を摘み、友人、知人に届ける明峯惇子さん

日野市新井の浅川近くに7家族が耕す一反(10アール)ほどの畑がある。ゆるく個人のスペースをもち、好きな時に来て耕す。「トトロの畑」と呼んでいる。閉塞するコロナ禍の中で、「トトロの畑があってよかった」とメンバーは口をそろえて言う。

5月の畑はヤグルマソウの中に

この日の収穫物。上から時計回りに、ヤグルマソウ、ノラボウ、キヌサヤインゲン

台所の生ごみはたい肥に

日野市内に住む高木さん夫妻

多摩モノレール万願寺駅から徒歩20分。浅川べりの向島用水が流れる田んぼと畑が広がる。地域の生ごみを有効活用しているコミュニティガーデン「せせらぎ農園」の畑を挟んだ東のこんもりした柿畑が「トトロの畑」だ。
所どころに紫の花を付けたヤグルマソウが群生している。「こぼれ種で毎年自然に生えてくるの」とこの畑の主宰者・明峯惇子さん(75=国立市)。
隣では、日野市内から自転車で通う会員歴10年の高木富康さん、和子さん夫妻(共に74)がサトイモの植え付けをしていた。
最近会員になった山田美代さん(70=国立市)は自宅から持ってきた生ごみをたい肥づくりの山に投入し、刈った野菜や雑草でおおった。たい肥の山は3つあり、1カ月に一度位の割で切り返しをし、山を移動させる。
この日の山田さんの目的は、インゲンの種まき。畳4枚ほどの自分のスペースの中から撒く場所を決め、土をクワで耕し、明峯さんのアドバイスで3粒づつ撒いた。「30センチくらい間を空けてね」。種の圧着は靴先でちょん、ちょんと押すだけ。「園芸本にはないやり方、これでいいんですね」と要点をついた簡単な明峯式栽培法に山田さんはしきりに感心していた。
「ここは化学肥料や土に戻せないビニールは使わない。農薬も不使用。我が家ででた生ごみもたい肥としてこの畑で生かす。こうした環境に配慮した農法が魅力。畑の中には共同作業で耕す部分もあって、そこで成ったものは、その日の参加者で分ける。そんなゆるい温かい人との関係も癒されます」とトトロの畑の魅力を語ってくれた。

ステイホームが続く中 畑があってよかった

会員が自分が必要な量だけ耕しているトトロの畑

明峯さんは、日野市では37年前から休耕田を借り、生ごみを生かした畑づくりをトトロの畑を含め、何カ所か移動しつつ友人たちと耕し、日常の野菜や穀物を賄ってきた。2008年、明峯さんが国立市に転居したことをきっかけにトトロの畑を中心にした。
コロナによる緊急事態宣言下ではトトロの畑が会員たちの心のよりどころになったという。
「土に触れ、植物から元気をもらい、晴れ晴れしました」と高木和子さん。
この時は、会員だけでなく、いきなり休校になった小学生、大学生らが遊びに来た。仕事を中断させられた若い人も耕し始めた。山田さんも「ここは蝶が舞い、鳥がさえずり花が咲き、安心できる場です」。「私たちも癒されたけど、様々な人たちが来てくれて、畑のあることのありがたさを会員みんなで喜び合いました」と明峯さん。

日本各地の農村の原風景を見て育つ

収穫した大麦は干して炒って麦茶にします」と明峯さん

明峯さんは、1945年夏、母親の実家(島根県浜田市)で生まれ、5年間海辺の町で育った。父親の仕事でその後全国を転々とした。大きく拡がるリンゴ畑、桑の実摘み、農家の庭先で1〜2頭ずつ飼われている豚や羊、田起こしする牛、霞ケ浦の帆かけ船、麦畑、富士山裾野のレンゲ畑、兵庫県の塩田、駐留軍の居る立川、樽で売りに来る生きた鯵、村の一隅で見た亜麻の花など……。
「転校ばかりの子ども時代でしたが、このような化学肥料や機械が入る直前の幸せな農的世界を見て育ったわけです。これが私の原風景なのです」。
昭和30年代になって静かに入り込んで来た農薬やプラスチック、ナイロン、合成洗剤など化学合成物質へ違和感を感じるようになった。
大学に入りレイチェル・カーソン(アメリカ)の『沈黙の春』(1962年刊)でその違和感は確信となり、1969年講談社から出版された石牟礼道子の『苦海浄土(くかいじょうど)』副題は「わが水俣病」に出合い、自分の中の違和感の根拠を知る。
「大学闘争の中で近代が生み出すものへの疑問、社会システムへの闘いの気持ちが自分の中に定着。このころからほのかにあこがれていた研究者への道をあきらめると同時に、肩書きをもたない人生を選ぶことにしようと」。

暮らしを足元から見直したい

畑の近くには向島用水が流れている

株元には土の保湿用にビニールではなく枯草を置く

改めて一から生き物と向き合ってみるために栃木県の養鶏場に2年間の研修に入る。そこで出会った「本物のたまごを食べたい」という都市住民の人たちと茨城県に拠点となる農場「たまごの会」をつくり、都市住民自ら耕し、運び、食べるという運動を始めた(1974年)。
そこでは卵や野菜の他、会員たちの台所残滓を帰りの配送車に載せて豚を飼うことも始め、ものを循環させて暮らす喜びを体験する。
月1〜2頭の豚を土浦のと場に連れて行き、頭も内臓も皮も全部持ち帰り、数年間、命を丸ごといただく体験もした。
80年から国立へ移り、都市の中でこの体験を生かそうと、国立市谷保に休耕田を借りて都市住民による食の自給自足を目指した「やぼ耕作団」を翌年立ち上げる。土地の返却を求められて84年からは日野に場を移す。96年には同耕作団は解散するが、形を変えて日野市で現在まで耕作を継続している。
畑では年間40種類余りの野菜と穀物を作っている。食卓はなんとかトトロの畑の収穫物で賄えているという。
現在、明峯さんは国立市で娘夫婦と2人の孫との5人暮らし。自宅でできる添削の仕事をしながら、週2日以上トトロの畑に自転車で通っている。
「気候変動や食料自給など大きなテーマが山積みになっている。これらを引き受け、自然と共に生きるためには、自分の足元から生活を見直すことも大事なのではないか。トトロの畑はその小さな拠点だった」と明峯さんは言う。

次の畑を探している

年間40種類ほどの野菜を作っているトトロの畑

トトロの畑も夏までで、地主さんに返却しなければならない。できたら明峯さんが住んでいる国立市内で市民が学ぶ場としての畑(1反)を貸してくれる人を探している。連絡先は電話番号080・5646・0817明峯さん

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