vol.1 今を大切に、ここで生きる(奥多摩町峰谷)

 奥多摩町峰谷。都内最奥部に位置し、背後には雲取山など2000㍍級の山々がそびえる。旧小河内村の中でダム建設による水没を免れた唯一の集落で、山村文化が色濃く残る。青梅線の終着、奥多摩駅から車で西へ約30分、奥多摩湖の北に位置する峰谷地区で、代々続くワサビ田を守る坂村清美さん(51)を訪ねた。

先祖が残したワサビ田を守る

収穫したばかりのワサビ

収穫したばかりのワサビ


 町道をそれて急坂を上がった所にある築約100年の家で、夫(56)と義母(85)、次女(22)の4人で暮らす。清美さんは、4人の孫のおばあちゃんには見えない、デニムと長靴のよく似合うカッコイイ女性だ。
 坂村家が所有する数カ所のワサビ田のうち、一番なだらかな場所へ。深い山林の斜面に沿ってワサビの棚田が続く。小ぶりの石がまんべんなく敷き詰められ、水がさらさら流れる田に緑色の葉が広がっている。
 ワサビを育てる上で一番大切なのは水の管理。きれいな水が均等に流れ続けなければいけない。そのため、水路に落ち葉や土砂が詰まっていないかを見回る作業が随時必要なのだという。零下にもなる冬場に水が凍ってしまわないように、雪が積もっても見に来なければならない。
 水路を見回った後、いよいよワサビ田へ。両手で根本を持ち、途中で折れないようにソロソロと丁寧に引っ張ると、スゥーッと抜ける。横を流れる沢で泥を洗い流し、ヒゲ根をむしり取る。前のめりでの作業は腰が疲れる。ここは平坦だが、急斜面にあるワサビ田での作業は身にこたえるという。

戻らないつもりが「住めば都」

沢沿いに広がるわさび田

沢沿いに広がるわさび田


 夫の裕之さんは奥多摩山葵(わさび)栽培組合の副組合長だが、山間部での作業用モノレールの仕事をしているため、ワサビ田での仕事を主に担うのは清美さんだ。
 同町小留浦(ことづら)出身の清美さん。高校卒業後は青梅市の親戚宅に下宿して御茶の水の専門学校に通い、その後3年間は昭島に部屋を借りて荻窪に通勤していた。周囲には「奥多摩には戻らない」と宣言していたのだが、峰谷に嫁ぐことに。
 「はじめは人恋しく感じたけれど、住めば都。いつの間にかここでの暮らしが良くなった。この間久しぶりに新宿に行ったら、人だらけで疲れちゃった」

「匂いがいい」

坂元清美さん

坂村清美さん


 既に成人した3人の子ども達は「たくましく育った」。幼いころから大人達の山仕事に同行し、帰りは、体に巻いた紐を大人に持ってもらってピョンピョンと跳ねるように急斜面を駆け下りた。「東京なのに、山梨や静岡に住む友達よりも新宿に出るまでの時間がかかる」などと愚痴ることもあるが、今でも「峰谷の匂いがいい」そうだ。
 ワサビは町内のソバ屋や埼玉の料理店などに卸しているほか、暮れは贈答用に買い求める人も多く忙しい。だが以前のようには高値で売れない。サルやイノシシなどに荒らされて、せっかく育ったワサビが駄目になることも多い。それでも「代々続いたワサビ田だから、大切に育てなくっちゃ」
 峰谷の人口102人のうち、未成年者は5人、65歳以上が65人(10月1日現在)。高齢化が進み、空き家も多い。「10年後にはこの辺りはどうなっちゃうんだろうって思う事もある。でも静かで、自分のペースで毎日を過ごせて、旬の食べ物が食べられる。先の事は誰にも分からないし、なるようにしかならない。私は今を大切に、ここで生きていく」
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M041_01_•ô’Jmap 東京にも山があり、山村がある。脈々と受け継がれてきた習慣、変わりゆく暮らし、変わらぬ風景、新しい風……。東日本大震災以来、地方の持つ力が見直される中、「東京の中の地方」の力を学びに、東京の山村をシリーズで訪ねます。

奥多摩ワサビ

江戸時代から栽培され、将軍家に献上したとの記録も残る。1989年には東京都中央卸売市場で出荷量が2位になるなど一大産地だったが、輸入品の増加や後継者不足で、町内の専業農家は数軒。

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