vol.8 分校の存在、今に伝える(檜原村数馬)

校庭には遊具のほか、サッカーゴールの上にバスケットゴールが乗っかった“一体化”ゴールも

校庭には遊具のほか、サッカーゴールの上にバスケットゴールが乗っかった“一体化”ゴールも

檜原村の南側を流れる南秋川沿い最奥の集落、数馬(かずま)。1874年(明治7年)に開校し、今から15年前の1999年3月に閉校した檜原小学校数馬分校は今、記念館となって、訪れる人たちにかつての姿を伝えている。
 51世帯(4月現在)が暮らす数馬地区の中心部、檜原街道から脇道にそれた高台に位置する木造の校舎は1959年(昭和34年)に建てられたものだ。校舎内には、掃除の割り当てを示す掲示物や閉校当
時の在籍児童数の内訳などがチョークで書かれた黒板、児童が使った縄跳びなどが保存されている。

最後の児童は7人

児童たちの机は、先生の机を囲むように置かれていた

児童たちの机は、先生の机を囲むように置かれていた

 檜原村では昭和50年代半ばまで小学校が8校あったが、児童数の減少に伴い1982年(昭和57年)以来統合が進んだ。数馬分校は村内最後の分校で、最後の児童は7人だった。今では檜原小学校一校のみだ。
 地区の出身者や卒業生、住民らからの存続を求める声を受け、閉校から7年後の2006年秋に記念館としてオープンした。建物の所有は村だが、地域住民らでつくる「数馬分校記念館運営有志の会」がボランティアで運営している。
 有志の会の代表を務める松丸日出生さん(75)は元小学校教諭。数馬分校がまだ数馬小学校だった(1986年に檜原小学校数馬分校になった)1974年4月から12年間と、閉校前の最後の2年間、ここで教鞭をとった。自身は調布市の出身で檜原村以外の小学校でも教えたが、最初の赴任以来家族で数馬に暮らし、2人の子どもも数馬小学校の卒業生だ。
 開館当初の来館者は卒業生が多かったが、最近はキャンプやドライブの途中に立ち寄る人も多い。「自分の出身校じゃないのになんだか懐かしい」「当時の姿が残されていて羨ましい」などの声が上がるという。
 教室では、児童達の机が先生の机を囲むように配置されている。「教室にいるみんなが目が合うように置かれていた」と松丸さん。階段や廊下の壁には、川遊びや農作業など山里ならではの授業や、地域じゅうの人が参加した運動会の写真が貼られている。
 2階には閉校当時の先生と児童が作った分校のジオラマ(立体模型)のほか、奥の教室には、「昭和二年新調」と書かれた機織り機やかつて使われていた手押しの消防車などもあり、さながら地区の資料館のようだ。

地区全体が大家族

松丸日出生さん

松丸日出生さん

 分校があったころ、子ども達は外が真っ暗になっても校庭で遊び続けていた。地区全体が大家族のようで、みんなで子ども達を育てる雰囲気があったという。
 今春檜原小学校に入学した児童は11人。数馬地区には小学生が1人、中学生が1人いるだけだ。「村内で子どもの姿を見かける機会が減ったのは、その数が減っていることに加え、家の中で遊ぶゲームや習い事など放課後の過ごし方が都会的になったこともあるのかもしれない」と松丸さんは言う。
 「かつて檜原村にも複数の小学校があり、ここ数馬にも学校があったんだということを伝えたい。分校のありのままの姿を通じて何かを感じてほしい」

■数馬分校記念館 開館日:土日祝日、9時半~15時半。入館無料。武蔵五日市駅から西東京バス、「数馬」バス停から徒歩3分。

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