vol.17 海沿いの集落は消えてしまった

今夏、日本三景の一つである松島に向かい、そこから「奥松島」に旅をした。何度か取材で伺っている「すみちゃんの家」(NPO法人のんび~りすみちゃんの家)の伊藤壽美子代表と一緒だ。

奥松島への旅

奥松島・月浜

奥松島・月浜


誰でもがよく知る松島の近くにある「奥松島」(宮城県東松島市)。ここは、東日本大震災で甚大な被害を受けた地である。松島湾を北から包み込むように奥松島があり、先端に宮戸島がある。島といっても陸続きである宮戸島は、海水浴場として有名であり、月浜、大浜、室浜などがよく知られている。震災前には大勢の海水浴客が訪れていたという。

奥松島の被害状況と今の様子が知りたかった。

伊藤さんの運転する車で野蒜から宮戸島に入っていく。県道は島の中心を貫いていて、やや高台となる。周囲は山に囲まれており、海は見えない。

伊藤さんの実家に着いた。あたりは山に囲まれている。にもかかわらず、津波はここまで襲来したという。実家を囲んでいたブロック塀が下段まで崩れ落ちるほどの勢力だったと話してくれた。当然津波は家の内部まで押し寄せていて、一時は避難生活を余儀なくされたという。

ポツンと一軒だけ残った民宿「新浜荘」

ポツンと一軒だけ残った民宿「新浜荘」


実家の田んぼだった。だったと過去形で書いたのは、もはや水田として成り立っていなかったからだ。伊藤さんは田んぼの先を指さしてこう言った。「あの山の切れたところから津波が押し寄せてきたそうです。だからこの田んぼは塩水に浸かってしまい、塩を抜かなければ水田として機能しないのです。ですが、まだ復興は手つかずです」

津波が押し寄せたこの一帯の水田は、今も放置されたままだ。

月浜に残された1軒の民宿

山の切れ目から津波が。 手前は田んぼだったところ

山の切れ目から津波が。
手前は田んぼだったところ

車を走らせる。

なだらかな坂道を下って行くと海が見えた。

「ここは室浜というところです。70軒ほどの家がある集落だったのですが、津波で消滅しました」。伊藤さんの説明にことばを失った。村があったという土地には何もない。室浜の人々が暮らす仮設住宅が、高台に見える。方向を替えて県道を大浜に進む。左手に海を見ながら行く。

「この海岸は大浜といいます。大きな海水浴場で、ホテルや民宿が海岸沿いに軒を並べていたんです」

それらの建物は何も残っていない。津波による塩害で、立ち枯れた木々が見えるだけだ。

月浜に着いた。ここには津波に襲われつつも奇跡的に残った民宿があった。民宿「新浜荘」は波打ち際から十数メートル。歩いてみると50~60歩程度だろうか。月浜ではこの民宿ともう一軒が奇跡的に残ったのみだ。

小さな湾は周囲を岩山に囲まれている。約250メートルの白い砂浜が続く。月浜地区には、震災前はかなりの数の住民が住んでいた。漁業と観光に携わっていたのは38世帯ほど。震災による津波で住宅や民宿などはほとんどが流出した。人々は今、海を見下ろす高台に並ぶ仮設住宅で暮らす。かつて海水浴客を出迎えた歓迎アーチが残っているだけだ。

「新浜荘」の女将に話を聞くことにした。次号に続く。

(介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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