vol.38 「閖上の記憶」を語り続ける

 東日本大震災による津波で、地区住民750人が犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)。被災の惨状を語り継ぐ慰霊と追悼の資料館「閖上の記憶」を訪れた。

消えた街

日和山の前で説明する小斎さん

日和山の前で説明する小斎さん

 あの日、津波は家屋約2500軒をのみ込み、地区を見下ろすようにあった約6メートルの日和山も超えて人々を襲った。
 そして今、日和山の傍らに一軒のプレハブの建物が建っている。震災による被災状況を伝えるために建てられた「閖上の記憶」(認定NPO法人地球のステージ)だ。資料館がある場所は、被災後、更地となっているものの、今後も家などは建てられないエリアだ。資料館の目前には市が設けた慰霊のモニュメントもある。まさにここは、震災の記憶を後世に語り継ぐ「場」でもある。

資料館の横には亡くなった中学生の慰霊碑が設けられている

資料館の横には亡くなった中学生の慰霊碑が設けられている

 館長の小斎正義さん(73歳)は、閖上で地震とその後の津波を経験した。現在は語り部として、また館長として活動している。
 館内には震災前の閖上地区が一目でわかる航空写真や、小学生が失った町並みを思い出して作ったというジオラマなどが展示されている。外には閖上中学校遺族会が建立した慰霊碑が設けられている。慰霊碑の横には教室で使っていた机が置かれ、メッセージが書かれている。「いつも一緒だよ」の文字が切ない。
 「閖上中学校では14名の生徒が犠牲になりました。震災から1年後、子どもを失った保護者が、子どもたちが生きてきた証しを忘れたくないと閖上中学校の敷地内に慰霊碑を建てました。同年にNPO法人が社務所として資料館を設け、被災状況を伝える場となりました。今年4月下旬、さらに海に近い現在の場所に移転しました」と小斎さん。

「忘れない、忘れられない」

資料館の向かいには慰霊のモニュメントが設けられている

資料館の向かいには慰霊のモニュメントが設けられている

 「あの日、私は家族3人で最初に避難した公民館から、さらに内陸にある閖上中学校に逃げて助かりました。でも思い出すたびに、みんなにもっと大声で逃げろと叫べば良かったと自分を責めてしまいます」。自責の念は癒えることがなかったという。
 「家が流されたことよりも周囲に誰もいなくなったことの方が悲しかった」
 震災後は仮設に入居。しかし喪失感から夜眠れなくなるといった症状が出始める。通院していた医師が、当時資料館の開設準備をしていたNPOの桑山紀彦代表理事だ。医師のすすめで現在の活動を始めた。
 かつての街を行く。あまりに多くの人を失ったためか、かさ上げして再びここに住みたいという元住民は多くはないようだ。それでも小斎さんは「災害は避けられないが、対応の仕方で命を守ることはできると思います。だから、語り継いでいきます」と言う。強い決意が伝わってきた。
 「閖上の記憶」電話番号:022-738-9221
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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