vol.7 遺族の心の声に耳を傾ける

 東日本大震災で最愛の家族を亡くした人たちがいる。とりわけ我が子を失った母親たちの心の痛みは計り知れない。こうした遺族が語らう場を作る活動を追った。

悲劇の保育所

01_P029_04_04 その光景に遭遇したとき、瞬時にこの場で起きたことを想像できた。昨年6月末、宮城県山元町の町立東保育所の前だ。入り口に焼香台が設けられ、ジュースの缶や花が添えられていた。東日本大震災による津波で、園児が3人死亡したのである。
 保育所の中に入ってみる。壁に掛けられた時計は、津波が襲った午後の4時12分で止まったままだ。東保育所は海から約1・5㌔に位置する。以前本紙で紹介した高齢者デイサービス「愛広館」はこの保育所の目と鼻の先。愛広館は2階建てで、保育所から流されてきた保護者と子どもを救い出している。保育所が2階建てであったならば、と思うのは私だけではない。
 地震発生から津波襲来までは、約1時間30分。地震直後に駆けつけることができた保護者には子どもを引き渡し、残った園児13人と職員14人は園庭で待機していた。津波に気づき、車で避難したが逃げ遅れた。保育所の避難方法に過失があるとして、2家族が保育所を提訴した。だが、子を失った親の悲しみは癒えない。

自助グループで分かち合う

02_P029_04_03 震災で家族を失った人々の声を集める「遺族による震災フォーラム~私達がのぞむ本当の希望~」が昨年10月20日、仙台市で開催された。約70人の参加があった。フォーラムを企画したのは「つむぎの会」。津波で子どもを亡くした母親たちが集まって思いを分かち合う会だ。
 つむぎの会の呼びかけ人でもある田中幸子さん(仙台市在住)は、長年、全国的に「藍の会」(自死遺族の自助グループ)の活動を行ってきた。田中さんのもとに津波で警察官だった息子を亡くした母親から電話がかかってきたのは、震災から2カ月後の5月だった。自助グループの必要性を感じた田中さんは、電話を受けた1カ月後につむぎの会を発足させた。現在は仙台、石巻、気仙沼、岩沼の各市で毎月、それぞれ10~20人ほどの遺族が参加する。つむぎの会の集いから、各地域独自に「灯里(あかり)の会」(岩沼)、「蓮の会」(石巻)も発足した。
 「会に参加する遺族は、ドアを開けた瞬間から泣いていることもあります。誰かを失ったという共通点があるから、ありのままを出せる。それが大事なんです」と田中さん。田中さんは幼い子を失った母親にこう言う。
P09_chizu 「深く愛しているから悲しいんです。悲しみを消さなくていいの。でもずっと悲しむためにもあなたが元気でいなければならないの」と。子どもを失って、ずっと自分を責めてきた母親は、自助グループに参加することで、やがて自分を許せるようになるという。
 置き去りにされがちな遺族の心の悩み。つむぎの会のように、その悩みとしっかりと向き合う場が今、何よりも必要ではないか。
 (写真はいずれも2012年6月末に写す)
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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