vol.20 ボランティアと利用者が再開の力に

 前回、宮城県東松島市にある「すみちゃんの家」(NPO法人 のんび~りすみちゃんの家)の伊藤壽美子代表が、震災の語り部となった経緯を報告した。伊藤さんは東日本大震災の津波で自宅と2つの事業所が被害を受けた。事業再開までの道すじを紹介する。

「高い所に逃げて」

「津波がここまできた」と指をさして教えてくれる伊藤さん

「津波がここまできた」と指をさして教えてくれる伊藤さん


 地震が起きた時、伊藤さんは夫と共に車で松島町と東松島町の中間あたりにいた。今まで経験したことのない大きな揺れだった。行く手を遮った岩を片付け事業所に戻ると、職員がすでに避難準備を終え、伊藤さんの指示を待っている状態だった。
 「急いで高いところに避難して」
 伊藤さんがそう言ったのは、直感で津波が来ると思ったからだ。伊藤さんは私物を何一つ持ち出すこともなく、そのままひたすら高台を目ざした。全員の避難を終えてふっと我に返ると、保育所に預けてあった孫のことを思い出した。
 その日の朝、仙台に行く娘からお迎えを頼まれていたのだ。
 車は混雑していて動かない。伊藤さんは車を諦めて走った。孫は野蒜小学校の体育館に避難していた。孫を見付けると、体育館からすぐに逃げた。
 その後小学校では、押し寄せた津波がグラウンドに避難していた車とその中の人々をのみ込んでいた。

「ここに来たい」という声に背中を押された

宅老所「すみちゃんの家」(元はグループホームだった)

宅老所「すみちゃんの家」(元はグループホームだった)


 伊藤さんが避難先から宅老所に戻ることができたのは3月末。水が引かなかったためだ。多量のがれきと泥で埋まった自宅とグループホーム、宅老所がそこにあった。「もう事業所は閉めよう」と一度は決めた。
 だが、約1000人を超えるボランティアの人々の協力を得て事業所はひとまず外観を整えることができた。そして、「また、デイに通いたい」という利用者の声が背中を押した。建物の内部改修を経て2011年7月、同じ場所で事業を再開した。
 伊藤さんらしいのは、この時期、支援を受けるだけではなく、地域の仮設に味噌汁を届けたことだ。震災の年の4月から毎週200人分の温かい味噌汁を届けた。それは仮設で暮らす被災者が「もう大丈夫」と言うまで続けた。その時、自分ができることをする。これが伊藤さんの生き方である。
 現在、すみちゃんの家はデイサービスと宅老所の事業を展開している。再生したグループホームの建物を宅老所にしてお泊まりと居住のサービスを提供している。
 やがてこの地から高台へと移転することも決まっている。利用者の安全を考えるとこの地では事業を続けられないからだと伊藤さんは言う。
 「またゼロからのスタートです」
 それでも、目の前の困っている人に手を差し伸べたい。それが自分の使命だからだとも言う。震災前と同様、365日年中無休のサービスを提供する理由がそこにある。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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