vol.37 この地に住み残る

 JR仙石線が全線復旧した、今年5月30日に一人の女性に出会った。復旧を心から喜んで涙していた女性は新妻佳子さんといった。被災地に住み続ける決意をしたという、新妻さんの震災から現在までを取材した。

津波に追われて

津波にあった直後の東名運河

津波にあった直後の東名運河

 新妻佳子さんは、震災のことを多くの人に伝えたいと先頃まで「語りべ」の活動をしていた。そして現在も被災した我が家(東松島市新東名)に住み続けているという。
 「3月11日、私は津波の濁流に呑み込まれながらも九死に一生を得ましたが、父(当時83歳)は亡くなりました」と新妻さん。
 東日本大震災が発生した時、新妻さんは父親の長坂亘さんと家にいた。夫は東京に単身赴任中。家は東名運河の河口脇、運河が注ぐ海までの距離はわずか50メートルほどだ。津波は目の前の海からではなく、西方向の野蒜(のびる)海岸から襲ってきた。
 「土手を越えて運河のヘドロがあふれるように立ち上がってくるのが見えました」
 急いで津波から逃げるように車を発進させた。後ろから津波が追いかけてくる。
 旧仙石線の線路に突き当たって行き止まった。新妻さんは車を捨てて逃げようと決めた。後部座席の父親を出そうと思ったその時、津波は水量を増して押し寄せ車がフワッと浮いた。そして、そのまま車の下に体が引き込まれてしまったのだ。半身が車の下にあって身動きができない。
 「佳子、早く乗れ」と父親。
 「お父さん、ごめんね」
 それが2人の最後の会話だ。津波の強い引きが新妻さんの全身を車の下に呑み込んだ。

奇跡的な生還

新妻佳子さん

新妻佳子さん

 「死にたくない」。また水が押し寄せて奇跡的に体が抜け流されたが真っ黒な水の中だ。息が苦しい。電柱に引っかかりようやく水面に浮かびあがることができた。このまま流されれば湾に行く。流されまいと目につくものにしがみついた。「助けて」と叫んだその声を聞いて救助してくれたのは、地域の介護施設のスタッフだった。そのまま施設の2階に避難した。夕闇が迫るころ、車を発見するが、車中の父親は息絶えていた。
 「今でもその事を思い出すと泣いてしまいます」と声を詰まらせた。心を静めるために毎日、般若心経を模写しているという。
 「ここには震災の一年前に越してきたばかり。でも父親は生前、ずっと住んでいるように思うとよく話していました。父が大好きだったこの地にいたいという思いがあります」
 ヘドロかきに来てくれた100人を超えるボランティアや、助けてくれた大勢の人がいる。
津波の後に改修して、現在住んでいる家

津波の後に改修して、現在住んでいる家

 「何よりも地域の人達との絆があります。失ったものは大きかったですが、得たものもあります。だから東京には帰りません」
 震災が夢であったらと何度思ったか、と新妻さん。記憶の重さを癒やしてくれるのは、やはりこの地なのだ。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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