復興を追う

vol.46 東松島、人々の記憶を訪ねて(6)

vol.46 東松島、人々の記憶を訪ねて(6)

2016年5月26日号, 復興を追う 2016年5月26日 at 12:44 Comments are Disabled

海苔も船も「みんな無いっちゃ」  東日本大震災(2011・3・11)、奥松島の宮戸島(宮城県東松島市)では、昔からの言い伝え通り島民は高台にある宮戸小学校に避難した。島人は無事だったが津波はいくつもの浜をのみ込み、人々は続きを読む

vol.45 東松島、人々の記憶を訪ねて(5)

vol.45 東松島、人々の記憶を訪ねて(5)

2016年4月7日号, 復興を追う 2016年4月7日 at 12:19 Comments are Disabled

古い言い伝えが島民を救った  東日本大震災による津波被害は、当然のことながら海岸部に集中している。しかし、過去に受けた津波被害を後世に教え残そうと建てられた「津波碑」がある地区では、住民の意識も違ったという。 2つの石碑続きを読む

vol.44 東松島、人々の記憶を訪ねて(4)

vol.44 東松島、人々の記憶を訪ねて(4)

2016年3月3日号, 復興を追う 2016年3月3日 at 12:46 Comments are Disabled

刺繍でまちを元気に  宮城県東松島市・矢本運動公園にある仮設商店街に、2015年の11月、一軒のカフェがオープンした。地元の名物や刺繍(ししゅう)商品の販売の店でお茶も楽しむことができる。 「東松島ステッチガールズ」が運続きを読む

vol.43 東松島、人々の記憶を訪ねて(3)

vol.43 東松島、人々の記憶を訪ねて(3)

2016年2月4日, 復興を追う 2016年2月4日 at 12:55 Comments are Disabled

 野蒜小学校(宮城県東松島市)の近くにあった早川宏さんの自宅は、東日本大震災が起きる2年前に建て直したばかりだった。押し寄せた津波で、1階は壊滅状態であったものの2階は無事だったことからこの地に住み残る決心をした。 崖を続きを読む

vol.42 東松島、人々の記憶を訪ねて(2)

vol.42 東松島、人々の記憶を訪ねて(2)

2016年1月7日号, 復興を追う 2016年1月7日 at 10:52 Comments are Disabled

 震災の被害が大きかった東松島市で出会った内海牧子さん。あの日、失ったのは「ママ(嫁)」だけではなかったと教えてくれた。そして今、生かされている自分には役割があるとも言う。 震災後、苦しむ人々  内海さんは2011年3月続きを読む

vol.41 東松島、人々の記憶を訪ねて(1)

vol.41 東松島、人々の記憶を訪ねて(1)

2015年12月3日号, 復興を追う 2015年12月3日 at 11:50 Comments are Disabled

 冬の気配が日ごとに強まっていく宮城県東松島市を訪ねた。東日本大震災から4年半を過ぎているが、復興ということばの裏に埋もれている「普通の人々」の記憶を記録するために。 ママ(嫁)は帰ってこなかった  震災による津波の被害続きを読む