vol.50 マツ林が津波の最初の防波堤だった
宮城県の仙台湾沿いにあった海岸林(マツ林)は400年ほど前に、伊達政宗公によって塩害・強風対策として植え始められたもの。東日本大震災ではこの海岸林のほとんどを失ったが、マツ林の復活が減災につながると冊子を発行した公益社続きを読む
宮城県の仙台湾沿いにあった海岸林(マツ林)は400年ほど前に、伊達政宗公によって塩害・強風対策として植え始められたもの。東日本大震災ではこの海岸林のほとんどを失ったが、マツ林の復活が減災につながると冊子を発行した公益社続きを読む
被災後、手仕事グループを立ち上げる 宮城県東松島市の野蒜・東名地区は東日本大震災による津波被害が大きかったエリアだ。だが、壊滅的な被害を受けつつも、暮らしを取り戻そうと尽力した人々がいたことを記録しておきたい。 一本遅続きを読む
語りつぐ次世代を生み出す 東日本大震災で被害の大きかった東松島市の東名や野蒜地区の震災記録を残し、次世代に語りついでいきたいと活動する東松島市社会福祉協議会・生活復興支援センターで話しを聞いた。 記憶を風化させない 続きを読む
被災者サロンの交流で心をつなぐ 東日本大震災の際に宮城県東松島市で被災し、その後主に仙台市などで生活する鳴瀬地区の住民が定期的にサロンを開催して交流を深めている。震災前の思い出などを語る場は1回も休むことなく続いていると続きを読む
海苔も船も「みんな無いっちゃ」 東日本大震災(2011・3・11)、奥松島の宮戸島(宮城県東松島市)では、昔からの言い伝え通り島民は高台にある宮戸小学校に避難した。島人は無事だったが津波はいくつもの浜をのみ込み、人々は続きを読む
古い言い伝えが島民を救った 東日本大震災による津波被害は、当然のことながら海岸部に集中している。しかし、過去に受けた津波被害を後世に教え残そうと建てられた「津波碑」がある地区では、住民の意識も違ったという。 2つの石碑続きを読む