vol.51 体育館のカーテンにつかまって耐えた

 東日本大震災で被災した方々の中には、いずこともなく聞こえた「逃げろ」という声に導かれるように避難して助かったという人も少なくなかったという。そんな体験をした一人が住む仮設住宅を訪ねた。

義父に導かれるように

義父と夫の位牌の前で佐々木昭子さん 

義父と夫の位牌の前で佐々木昭子さん 

 「昭子(てるこ)、何をしているんだ。逃げなさい」。
 2011年3月11日、それまで経験したことのない地震の後、散らばった家の中を片付けていた佐々木昭子さん(80代)が聞いた声だ。それは紛れもなく亡くなった義父の声だった。
 「逃げなければ」
 我に返った昭子さんは、バッグ一つを持っただけで避難場所に指定されていた野蒜小学校に急いだ。ここは宮城県東松島市東名地区。海も近い。小学校に着くと、校舎は入口にチェーンがかけられて入れなかった。体育館へ。
 「私は体育館の入り口のすぐ脇、30センチほどの壁を背にするように座ったんです」
 知り合いは入り口付近に座っていた。最初の津波が来た。チョロチョロときた波は、はいていた靴先を濡らした程度だった。
 「みんなで津波だよって話していたら、すぐに第2波がきました」
 それは見たことのない高波だった。急激に水かさが増し、昭子さんは座った姿勢のまま波頭に乗って一気に2階近くまで押し上げられた。幸いだったのは上がった先にカーテンがあったことだ。手を伸ばしカーテンにしがみついた。

仮設暮らしは気苦労も多い

既に取り壊され今は更地になっている野蒜小体育館=2013年8月筆者撮影

既に取り壊され今は更地になっている野蒜小体育館=2013年8月筆者撮影

 間もなく波が引きはじめた。強い力で引っ張られる。見る間に体育館に浮かんでいた人々が流されていく。昭子さんは必死で耐えた。さっきまで体育館の入り口に一緒に座っていた知り合いも流されていく。
 昭子さんは、祖父母を流されて絶望する孫の姿や、「おとうさん行かないで」と流されていく父親に向かって叫んでいる息子の姿など多くの別れを見たという。強い引きがいったんおさまると、まわりには遺体が浮かんでいた。まだ胸まで水につかっている。
 「ずっとカーテンにしがみついていたら、今度は、地震の1カ月ほど前に亡くなった夫が目の前に現れました。迎えに来たのかと思ったら、がんばれ手を離すなよって言ったんです」。自衛隊が救助に来るまで、さらに3時間以上がかかった。
仮設玄関で見送ってくれた

仮設玄関で見送ってくれた

 昭子さんは避難所や娘の家などを経て、その年の11月に現在の響(ひびき)仮設住宅に入居した。だが気苦労は多かったという。
 今は週2回のデイサービスが何より待ち遠しいと笑顔があふれた。別れを告げると、仮設の玄関に佇んでいつまでも見送ってくれた。悲劇を見た人だからこそ、のんびりゆったり過ごして欲しいと願わずにはいられなかった。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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