vol.40 「ここに残って供養を続ける」

 宮城県東松島市。奥松島にある宮戸島は東日本大震災の被害が大きかった地域である。島の入り口にある潜ヶ浦(かつぎがうら)地区。ここで一軒だけ残った自宅で、今も亡くなった人々を供養する夫婦に出会った。

お地蔵様と花で死者を慰める

亡くなった方々を供養する場。四季の花を絶やさないようにしているという

亡くなった方々を供養する場。四季の花を絶やさないようにしているという

 潜ケ浦の集落は、東日本大震災までは10戸(住民が住んでいたのは8軒)に18人が住んでいた。津波で7人が亡くなり、家は1軒だけを残してすべて流出した。
 残された1軒に今も住むのが、木島新一さんと妻の澄子さんだ。木島さんの家は遠くからでもすぐに分かった。山が田んぼをU字型に囲んでいる風景の中で、ひときわ高い斜面にポツンと残っていたからだ。田んぼ脇の道路から石の階段を上がること40段。二人が住む自宅に着いた。
 「水はこの階段をわずか3段残すだけまで押し寄せてきたんです」と澄子さん。

保護司でもある木島さんは語りべの活動も行っている

保護司でもある木島さんは語りべの活動も行っている

 家の真下にある広い花畑にはいくつものお地蔵様が並び、何種類もの可憐な花が取り囲んでいた。この地で亡くなった人を供養するために、お地蔵様を置き、花を絶やさないようにしているのが木島新一さんだ。
 「震災直後、この辺りは津波の塩害のため草花も無くなってしまった。残った人が手を合わせる場所を作りたいと花の種をまくことから始めました」と木島さん。
 2013年の春からお地蔵様を置き、花を植えるようになった。
 今では、この地を去った親族が数多く訪れ、お地蔵様に手を合わせ線香をあげている。

堤防はさらに高くなった

1軒だけ残った木島さんの家

1軒だけ残った木島さんの家

 大津波は、潜ヶ浦地区を長い間守ってきた堤防をいとも簡単に乗り越えてきた。この地区は堤防が作られる以前は、U字型の田んぼ部分は海だった。湾を干拓して田んぼにしたのだ。
 震災当時の事を木島さんは、「地震の時、村で決めてあった避難場所に行ったのですが、そこにも津波が押し寄せてきたため崩れ落ちた岩を乗り越えて自宅に戻りました。村で一番高台でしたから」と語った。
 自宅の石段の上から見た潜ケ浦は無残だった。津波が押し寄せたU字型の田んぼは湾の姿に戻り、そこに家々が浮かんでいた。
 「このあたりはまるでプールみたいになってしまい、3日後に船で助けられました」と木島さん。最初に避難した場所で、崩れ落ちた岩のために命を失った人もいるという。今も近所にある大きな穴の中には車が7台沈んだままだ。
 「うちだけが一軒残ったということは、残ってこの地を守れということだと思うからです」と木島さん。覚悟が伝わってきた。
 帰りしな、新しく設けられた堤防(4㍍50㌢)を見た。以前の倍の高さだという。海水が浸透した田んぼも土を入れ替えたという。それでも、人々の暮らしは戻らないのだ。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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