vol.18 どんどん人が減っている

 奥松島(宮城県東松島市)の宮戸島。海水浴場として名を知られていた「月浜」も、津波で様相を一変させていた。奇跡的に残った民宿の1軒を訪ねた。

「もう終わりだ」

月浜地区の高台に建つ仮設住宅

月浜地区の高台に建つ仮設住宅


 (11月号から続く)
 民宿「新浜荘」は波打ち際から10数㍍の所に、震災前と同じ姿のまま建っていた。ここは月浜地区といい、小さな湾は250㍍ほどの白い砂浜が続き周囲を岩山に囲まれている。この湾沿いにあった20軒ほどの民宿のうち、残ったのは「新浜荘」ともう1軒だけだ。
 民宿の女将である鈴木佐季子さんに話を聞いた。
 「民宿の隣りにあった自宅は土台だけ残して流出しました。民宿がなぜそのまま残ったのか不思議でなりません。民宿に迫るように岩山があったので、それが守ってくれたのかもしれません」
 鈴木さんは揺れがおさまった瞬間に「津波がくる」と直感した。そのあたりにあるものをかき集めるとバックに押し込み、直ちに宿の背後に迫る高台に駆け上がった。
 高台に避難した鈴木さんは、津波が岩山を超えるように押し寄せてきた時、目を疑った。民宿を開業してから30年、家々を飲み込むほどの巨大な波など見たことがなかったからだ。
 「もう終わりだ」

仮設から若い人が出て行く

「新浜荘」を守ったと思われる岩山(新浜荘の2階から写す)

「新浜荘」を守ったと思われる岩山(新浜荘の2階から写す)


 やがて津波が引き、がれきで埋まった月浜を見た時、鈴木さんは再び目を疑った。以前と同じように自分たちの民宿が残っていたからだ。津波は民宿の1階部分をすべて流出させたものの、外観はそのままだった。鈴木さんは民宿を再開するか悩んだ。背中を押してくれたのは常連客だった。「みんな、またやってくださいって言ってくれて」と鈴木さん。
 月浜の高台に建てられた仮設住宅に住みながら、毎日民宿に通ってがれきの撤去をした。ボランティアの協力を得なかったため、夫と2人で通うこと7カ月。営業を再開できるめどがたった。
 仕事ができてうれしいという鈴木さんだが、手放しでは喜べないという。
 「私達は民宿という生業がありましたが、被災した多くの人たちは仕事をしたいと思っても、ここには仕事がありません。若い世代がこの地を離れていくのが気がかりです」。仮設に住む人たちは、家や船を失い生活が成り立たないというのだ。

ポツンと一軒だけ残った民宿「新浜荘」

ポツンと一軒だけ残った民宿「新浜荘」

 翌日、同行してくれた伊藤壽美子さん(「のんびーりすみちゃんの家」代表・みやぎ宅老連絡会代表)の案内で、東松島市が進めている造成地を見に行く。大型重機が行き交う造成地には、4年後に大規模な団地が完成する。
 「それまで人が残るだろうか。今でもどんどん流出しているのに」と伊藤さんがつぶやいた。被災地の抱える新たな問題が見えたようだ。安全な居住地区も必要だが、就労の場も必要だ。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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