vol.50 マツ林が津波の最初の防波堤だった

 宮城県の仙台湾沿いにあった海岸林(マツ林)は400年ほど前に、伊達政宗公によって塩害・強風対策として植え始められたもの。東日本大震災ではこの海岸林のほとんどを失ったが、マツ林の復活が減災につながると冊子を発行した公益社団法人を取材した。

海岸林が津波のエネルギーを低下させた

2011年3月11日16時頃 宮城県名取市下増田地区に津波襲来=毎日新聞社の手塚耕一郎カメラマン撮影

2011年3月11日16時頃 宮城県名取市下増田地区に津波襲来=毎日新聞社の手塚耕一郎カメラマン撮影

 一枚の写真がある(左記掲載)。2011年3月11日16時ごろ、巨大津波が名取市の仙台空港に近い東須賀海岸に押し寄せる様子を毎日新聞社の手塚耕一郎カメラマンが同社のヘリコプターから撮影したものだ。
 この写真を掲載した「よみがえれ千代の松原 『みやぎの海岸林物語』」の発刊(2016年3月)に携わった、「公益社団法人・宮城県緑化推進委員会」の永田一朗常務理事は、次のように語る。
 「堤防を乗り越えた津波は、マツ林が最初の障害物になっています。巨大津波がマツ林を超えていく時エネルギーが分散され、マツ林がない地域と比べると押し流された建物も少なかったことが確認されました。また、津波が内陸部に到達する時間も遅らせることができました」
冊子「よみがえれ千代の松原」

冊子「よみがえれ千代の松原」

 永田さんによれば、さらに今から83年前に発生した三陸沖地震による津波の際も、海岸林があった場所の被害が少なかったという指摘もあった。 
 ただ、今回の津波はあまりにも大きく、宮城県内の海岸林の約1750㌶が被災し、その8割の1400㌶で新たに植栽が必要となったという。
 「高さ10㍍を超える津波は海岸沿いのマツ林をのみ込みました。折れたり、なぎ倒されたマツはもとより、海水をかぶったマツも枯れてしまったのです」
 震災後、ほとんどのマツ林は消滅し砂地だけが残った。その結果、何が起きたか。マツ林がなくなったため波の音が大きく響いたり、空気が湿ったり、内陸部にも砂が飛んでくるようになった。

マツ林再生は未来に残す財産

永田一朗さん

永田一朗さん

 「冊子を作ったのは、実は海岸の松林は自然に育ったものではなく、人の手で植えられたものだということや、もとのように立派なマツ林になるには人の手を入れながら100年ほどかかることを知って欲しかった」
 冊子では海岸林の歴史をはじめ、海岸林の役割、地域との関わりの重要性などをまとめながら、海岸防災林の再生を訴えている。また、市民参加を呼びかけるために学校や関係機関などに配付した。
 震災後は、全国の団体やボランティア、地域住民などが植樹活動に参加している。国や県も、根を深く張れるような盛り土やマツを枯らすマツクイムシに強い苗木を植えていくなどしているが、「植えたら終わりではなく、手入れする活動にも参加して欲しい」と永田さん。
 マツ林の再生は未来に引き渡すための、歴史的作業であり現代人の宿題だともいえる。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)
 ■宮城県緑化推進委員会は、宮城県内の海岸林再生のための募金活動も行っている。問い合わせは同委員会に。電話番号022-301-7501、FAX022-301-7502。
 また、広く活動を知ってもらいたいと、同委員会から冊子「よみがえれ千代の松原」を先着20人に無料提供。希望者は9月8日までにハガキかファクスで「アサココ」編集部へ(〒186-0004国立市中1-9-4-407、FAX042-505-6905)。

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