vol.19 語り部となり震災を伝える

 毎週末、東松島市の旧野蒜駅の駅前で、「語り部」活動を行っている人がいる。この連載に何度か登場してくれた「すみちゃんの家」(NPO法人 のんび~りすみちゃんの家)の伊藤壽美子代表だ。

語ることで苦しみを乗り越える

毎週末、廃線となった野蒜駅の軒先は地域の人が「あの時」を語り合う場に。最近は全国から人がやってくる(左端が伊藤さん)

毎週末、廃線となった野蒜駅の軒先は地域の人が「あの時」を語り合う場に。最近は全国から人がやってくる(左端が伊藤さん)


 宮城県東松島市、野蒜(のびる)地区。東日本大震災による被害が甚大だったところだ。この地を走っていた仙石線は既に廃線が決まっている。だが、津波に襲われながらも残った駅舎「野蒜」駅の軒先を借り、震災と津波のことを伝えようと活動を続けるのが伊藤さんだ。
 伊藤さんは毎週末、この場所で「語り部」の活動を行っている。ワゴン車にパラソルとキャンピング用のテーブルと椅子のセットを積んで行く。お茶道具も忘れない。震災前までは通勤や通学者で賑わった改札口付近に、キャンピングセットを組み立てる。
 この活動には、伊藤さんの思いが込められている。
 「この地区は津波の被害が大きく、亡くなられた方々も大勢います。その苦しかった経験を話せないままいる人たちも少なくありません。私は、そういう人たちが寄り合って、あの時は大変だったね、苦しかったねなどと分かり合う場が必要だと思ったのです」
 伊藤さんも被災者だ。東松島市東名地区にあった自宅と事業所が津波に襲われて、避難生活を余儀なくされた経験がある。一時期は「頭がおかしくなりそうだった」と述懐するほどだったが、震災から1年後(2012年)の春にこの語り部のサロンを思いついた。
 自らが「やろう。やらなければ」というやむにやまれぬ思いだった。伊藤さん自身が震災と津波の経験を人に話すことで、体の震えが止まったり気持ちの整理ができ自分を取り戻すことができたからだ。

人が集まり始めた

伊藤壽美子さん

伊藤壽美子さん


 こうして毎週土曜日、駅の一角にコーナーが設けられ、お茶を飲みながら語り合うことが始まった。午前10頃から午後2時くらいまでの間、伊藤さんを含む担当者6人(NPO職員と地域のボランティア)が話を聞く。6人とも津波による被災者である。
 まず、伊藤さんが話し始める。津波がきた時、どうやって逃げたか、何を考えたか。当事者が語る言葉が人々の心の扉を少し開ける。つらかったことや恐かったことなど、これまで人には言えなかった本音が言えるようになる。最初の頃は顔を出す地域の人もそう多くはなかったが、やがて語り部のことが口コミで伝えられたのだろう、話したいと訪れる人が増えてきた。
 最近では、民宿に泊まっているボランティアグループに話したり、依頼を受けて出前で語り部をすることも増えたという。語り部は冬の寒い間は休むが、これまで欠かさず続けてきた。1年半以上続けてきた活動は、伊藤さんの頭の中でさらに進化している。
 「実は場所を固定したサロン活動にしたいのです。地域の人たちが自由に出入りして、おしゃべりができて、ご飯も食べられて、時々音楽を聴いたりできたら元気が出ると思うんです」。次回に続く。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

毎週末、廃線となった野蒜駅の軒先は地域の人が「あの時」を語り合う場に。最近は全国から人がやってくる(左端が伊藤さん)

伊藤壽美子さん

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