vol.15 医師と共に地域を支えた小規模ホーム

 東日本大震災の際、宮城県東松島市のある小規模ホームは、津波による被害を受けた医療機関の避難先となった。医師がいることを掲示して、地域住民や避難してきた市民を支えた。

看護師が避難してきた

被災者と医師をつないだ連絡ノート

被災者と医師をつないだ連絡ノート

 有料老人ホーム「いずみの郷」は、入居者数10名の小規模施設。他に定員12名のデイサービスを併設している。志摩きくみ施設長は震災当日を振り返った。
 「(2011年)3月11日、私は休日で自宅のある石巻にいました。施設に行こうとしましたが、普段は20分ほどの距離にもかかわらず1時間半もかかりました」
 実は志摩さんの車を追うように、背後から津波が押し寄せていたのだが、そのことも知らないままひたすら施設を目指した。
 施設ではライフラインは途絶えていた。オール電化の施設は、暖房が止まり冷えはじめていたから、職員はホールに利用者を集めて毛布などで暖をとっていた。
 ラジオでは繰り返し津波が来ていることを伝えていた。だが、海さえ見えないこの地では想像ができない。一体何が起きているのかわけが分からないまま、日が暮れ、あたりが暗くなり始めた。
 その時、玄関のドアが開いた。いつも医師と一緒に往診に来てくれる「石垣クリニック」(石垣秀彦院長)の看護師だった。車で往診途中だったが、病院に戻れなくなったため避難してきたという。
 「その夜は、ホールに布団を敷き詰めてみんなで横になり、ラジオを聞きながら、長い夜を眠れぬまま過ごしました。ラジオは孤立して助けを求める人たちの情報や、海岸に数百もの遺体があることなどを何度も伝えていました」

「連絡ノート」を設置

施設長の志摩きくみさん

施設長の志摩きくみさん

 明け方、看護師の電話が医師と通じた。診療所は津波の被害を受けていた。志摩さんは、いずみの郷への避難と施設を臨時病院とすることを提案した。こうして震災翌日から、いずみの郷は動き出す。
 もう一つ志摩さんがしたことがある。玄関に「石垣クリニックいます」と張り紙をし、「連絡ノート」を設置したことだ。ノートには、薬が必要だという人の情報や体調の相談、それ以外にも家族を探している人の情報など、自由に書き込みができるようにした。多くの市民は震災直後、診察してくれる医師がどこにいるか分からなかった。近隣の病院が閉まったまま、薬が不足して不安感が増大する中、いずみの郷に医師がいることを知らせた事で、地域の人々をはじめ被災した人々が続々と来訪した。


震災時、臨時病院になった「いずみの郷」

震災時、臨時病院になった「いずみの郷」

 医師は、日中は避難所を回って被災した人々を診察し、夕方戻るとこの連絡ノートを見て、薬の指示を出したり看護師に処置を指示したりした。場合によっては往診にも行った。
 いずみの郷も、避難所から介護の必要な高齢者や身体的に障害のある人たちを受け入れた。一時期は31人もの人々が、寝食を共にしたという。
 そして、この取材では、新たな出会いがあった。(次号に続く)
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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