vol.56 東松島のパン屋の2人(1)

手作りパンで地元を元気に

阿部さん(左)と野田さん。オープン日は自宅玄関がパン屋になる

阿部さん(左)と野田さん。オープン日は自宅玄関がパン屋になる

 東日本大震災の津波被害が大きかった東松島市東名地区(宮城県)に震災後、小さなパン屋が誕生した。手作りパンで、人と人をつなげたいと、パンを焼き続ける2人の女性に出会った。

自宅の一角でオープン

パンの価格も買いやすいように設定している

パンの価格も買いやすいように設定している

 震災から11カ月後の、2012年2月にオープンした「ぱぱいやぱんや」。パン屋は阿部恵さんが、震災後に自宅を改修した際に新たに設けたもの。国産小麦と米粉を使い、マーガリンやショートニングではなくバターを使用し、パンの種類によっては地元産の食材を使っていこうと決めたこだわりのパン屋さんだ。店名もひらがなで「ぱ」の字を多く使った遊び心満載の命名だ。
 「ぱぱいやぱんや」は震災直後の津波被害が大きかった野蒜小学校の近く、住宅街の一角にある。震災があった日、津波はこのあたりまで迫り、1階の天井近くまで海水につかったという。
 「自宅は浸水したため、改修してここに住み続けるか、移転するかを決めなければなりませんでした」と阿部さん。
 「改修することに決まったので、震災前からやりたいと思っていたパン屋を開こうと、友人の野田ますみさんに相談しました」
 震災前から阿部さんと野田さんは、パン作り仲間だった。2人のパン作りへの思いは共通で「身近で安全な材料を使って作る」が基本だった。震災前も阿部さんの自宅に2人で資金を出し合って購入したオーブンを設置し、趣味の範囲ではあるがパン教室を開いていた。
 大切にしていたオーブンは津波で失ったが、パン作りをあきらめきれなかった2人は決意したのだった。
 「いつかはパン屋をやろうと2人で蓄えていた資金をすべて投入しました」
 パンを焼くオーブンは、今度は業務用だ。看板、レジ、パン成形の型もなかったが、最低限の調理器具のみを揃えてオープン。周囲にはまだ、がれきが山のように積まれたままだった。

地産地消にこだわる

 「正直、店を開けたものの、どのくらい売れるのか見当もつきませんでした」と阿部さんが言うように、当時は人影もまばらな被災地である。「宣伝もろくにできなかったんです」と野田さんも振り返る。
 週1回の開店で、予約販売が基本だったが、やがて口コミで購入者が増えていく。現在も週1回、水曜日の営業(予約なしでOK)がベースだ。他に不定期販売もあるが、地域まつりへの出店やボランティア活動でパン作りを子どもたちに教えることもある。
 2人が1回に焼くのは20種類ほど、300~400個のパンを焼く。
 「被災後は特に、地元の食材を使ってつくるパンを増やしています」と阿部さんが言うように、味噌、野菜などの他に、同じように被災した鳴瀬地区で作られている米粉や小麦粉も使用している。
 「パンを通じて人とつながり、被災体験者として防災のこともしっかり伝えていきたいです」と2人は言う。
 次回は2人に被災体験を語ってもらう。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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