vol.33 町の再興を祈って

 2011年3月11日。大地震と津波に襲われた東北の地。あの時、前号で紹介した宮城県東松島市のケアハウスには、娘の安否が確認できないまま夜を明かした伊藤純子さんがいた。

人々は助け合って過ごした

ケアハウスのユニット。ここに避難者が溢れた

ケアハウスのユニット。ここに避難者が溢れた

 震災の翌日、3月12日。大地震と津波があったことが嘘のように、いつもと同じ朝が来た。だが、ケアハウス「はまなすの里」(社会福祉法人ことぶき会・伊藤寿志施設長)の周辺風景は一変し、おびただしい量の漂流物が流れ着いていた。
 沿岸に立地していたグループ法人から、利用者と職員が避難してきたのは昼過ぎだった。ケアハウス内の被災者の数がさらに増えた。「全体で140人ほどだった」と話すのは伊藤純子副施設長。
 「食事はガスボンベとコンロを浴室に置いて雑炊など体の温まるものを作ってみなさんに提供しました」
施設の裏側に貯水池があってこの水を活用した

施設の裏側に貯水池があってこの水を活用した

 伊藤さんは続ける。「一番困ったのはトイレでした。何せ100人以上の人がいるわけです。先ずしたことは、不衛生にならないように、使うトイレを限定したことです。各フロアで2カ所ずつと決め、トイレットペーパーは流さないようにしました。水道水は止まっていましたが、近くに貯水池があったのでバケツで水を汲んできて使いました」。

娘は無事だった

ケーキとはな花さん。「あきらめていた誕生日をみんなに祝ってもらった事は親子の宝物です」と伊藤さん

ケーキとはな花さん。「あきらめていた誕生日をみんなに祝ってもらった事は親子の宝物です」と伊藤さん

 気がかりだった小学校1年生(当時)の娘・はな花(か)さんの安否は4日目にようやく分かった。無事だった。
 小学校では津波が迫って来た時に、迎えに来ていた親や子どもたち、地域の人々と教師が最上階の特別室に避難したという。3階建ての2階天上近くまで水は迫ったそうだ。
 「その後は、はな花も一緒にケアハウスで避難生活を送ったのですが、震災から2週間ほどで娘の誕生日がやってきました。私たち親はこんな非常事態に誕生日もないだろうと思っていましたが、娘は誰かに祝って欲しそうでした」
 ところがそれを察した職員が、乏しい食料をやり繰りして小さなロールケーキを作って祝ってくれたのだ。はな花さんが喜んだのは言うまでもない。
 震災後にはグループ法人が運営する認知症グループホームをケアハウスの敷地内に再建した。だが、入居希望者がいても職員が集まらないという状況が続いた。結局予定より半年ほど遅れて、2014年5月にオープンした。
 「津波被害の大きかった東松島市の人口はどんどん流出しています。その要因の一つは仙石線(せんせきせん)が復帰していないからです」と伊藤さんは言う。
 線路は仕事と暮らしをつなぐ生命線だった。だから寸断された状態では、人々に希望はわいてこない。高台に移転した仙石線の開通は今年5月末だという。町の再興を祈りたい。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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