vol.47 東松島、人々の記憶を訪ねて(7)

被災者サロンの交流で心をつなぐ

東日本大震災の際に宮城県東松島市で被災し、その後主に仙台市などで生活する鳴瀬地区の住民が定期的にサロンを開催して交流を深めている。震災前の思い出などを語る場は1回も休むことなく続いているという。

仙台市で「鳴瀬サロン」を開催

サロン開催日。今日はボランティアの協力を得て着物でおしゃれを 

サロン開催日。今日はボランティアの協力を得て着物でおしゃれを 

 震災で壊滅的な被害を受けた鳴瀬地区。震災から5年を経て、地元で住宅再建を実現した人や仙台市に移住した人も少なくない。2012年8月に始まった「鳴瀬サロン」は、そんな鳴瀬地区出身者の集まりだ。
 サロン代表で旧鳴瀬町・野蒜出身の尾形かよさんによればサロンのきっかけは、仙台市青葉区役所が呼びかけて開催した交流会(2012年6月)だという。
 「交流会では同郷で被災者という共通項があって率直に話せました」と尾形さん。境遇が同じ人が集まることが大切だと当時、野蒜から仙台市に移り仮住まいしていた尾形さんたちは考え、仙台市で「鳴瀬サロン」をスタートさせた。見なし仮設で生活する人、親族や知人の家に身を寄せる人などが参加した。
「鳴瀬サロン」代表の尾形かよさん

「鳴瀬サロン」代表の尾形かよさん

 「現在も月に1回、第二土曜日に開催しています。スタートから一度も休まずに行って、46回(5月現在)を迎えました」
 サロンでは、お茶を飲みながら参加者が近況報告を行ったり、ボランティアの協力を得て歌やフォークダンス、音楽鑑賞などを楽しんでいる。
 「参加は自由。事前の申込も不要です。今では見なし仮設などの暮らしを終えて元の鳴瀬地区に戻った人も、サロンに毎月通ってきてくれます」
 毎回20人前後が参加しているという。被災者の中には仙台を終の住処に選んだ人も少なくないという。尾形さんもその一人だ。

子どもたちのことが気がかり

震災後、プレハブ仮設校舎の野蒜小学校で紙芝居をする尾形さん

震災後、プレハブ仮設校舎の野蒜小学校で紙芝居をする尾形さん

 「当時、孫2人は野蒜小学校の1年生と4年生でした。地震が起きた時4年生の孫は校舎にいましたが、1年生の孫はそろばん塾にいる時間でした。子どもたちのママは仙台で勤務していたので私が車で迎えに行きました」
 車が小学校校庭に到着した時、バックネットを超えてくる濁流を見た。走って孫と共に校舎に逃げ込んだ。津波が押し寄せた後には、体育館からずぶ濡れになった大人や子どもが次々と校舎に来た。
 「子どもたちの体が冷えないようにカーテンをはずして包み込んだり、他の教室にあった体育着を集めて着せたりしました」
 野蒜小学校は震災で児童9人が犠牲になった。
 「死亡者が出た野蒜小学校の子どもたちのことがずっと気がかりです」という尾形さんは、今も仙台から野蒜小学校(統合して宮野森小)に通う。震災以前から行っていた紙芝居や読み聞かせをするためだ。子どもたちを見守るまなざしが温かい。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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