vol.45 東松島、人々の記憶を訪ねて(5)

古い言い伝えが島民を救った

 東日本大震災による津波被害は、当然のことながら海岸部に集中している。しかし、過去に受けた津波被害を後世に教え残そうと建てられた「津波碑」がある地区では、住民の意識も違ったという。

2つの石碑

2つ並ぶ碑

2つ並ぶ碑

 日本三景の一つ、宮城県の「松島」。その東側にある東松島市の宮戸島には石碑が2つ建っている。一つは古い自然石で高さは60~70㌢ほど、表面の文字は朽ち果て判読不可能だ。その隣には新しい石碑があり表面の文字は「貞観の碑に感謝する」と読み取れる。
 宮戸島出身の伊藤壽美子さん(すみちゃんの家代表)によれば、古い碑はいつ建てられたかは不明であり、新しいものは昨秋(平成27年秋)に設けられたという。島の観音寺の渡辺照悟住職が私費で建てたものだ。
 「私たち宮戸島の人間は、ここにある古い碑は昔、津波がここまで押し寄せてきたという証しであると教えられてきました」
 今から千年以上前、平安時代(869年・貞観11年)に東北地方の太平洋沿岸部を襲った「貞観地震」では、津波で多くの人の命が失われたという言い伝えがあり、石碑を建てて「地震が起きたら高台に逃げるように」という教えを語り継いできたといわれている。

島民が避難した宮戸小学校

島民が避難した宮戸小学校

 石碑のある地は標高10メートルほど。島とはいえど、その場所から海は見えない。しかし、貞観地震の際には、島の両側から大津波が押し寄せこの地でぶつかったとされている。
 東日本大震災では、当時約1000人ほどいた島の住民は直ちに石碑よりも高台にある「宮戸小学校」に避難したことで、犠牲者は1名に留まった。津波は海水浴場や民宿が建ち並ぶ4つの浜を呑み込み、集落のほとんどが消失した。

「ここより下に住むな」の教え

渡辺照悟住職

渡辺照悟住職

 石碑を建てた渡辺照悟住職は島の歴史にも詳しい。
 「言い伝えでは、貞観地震の津波では100人以上が死んだとも言われていて、石碑は『ここより下に住むな』という目印だったようです。碑があり、その言い伝えがあったから今回の津波でも島民が助かったのです。新しい碑は感謝の意味があります」
 3・11の地震では観音寺にも室浜、大浜からの津波が押し寄せ、墓石が並ぶ階段の下まで水が迫ってきたという。
 「あの日、大きな揺れがおさまった後、車で各浜を見回りに行きました。殆どの人が避難していたので寺に戻ろうとしたら前方から津波が来るのが見えました。真っ黒な高い山が迫ってくるようでした」と渡辺住職。
 消防団に誘導されて宮戸小学校に避難した。たき火で暖をとり炊き出しで空腹を満たし、体育館で夜を明かした。
 震災から6年目を迎えた今年3月、島民が避難した宮戸小学校は閉校になった。以前は100軒ほどあった島の民宿は月浜の4~5軒ほどになってしまった。
 「月浜以外の浜では民宿など建設不可能地区になってしまった。賑わいは戻らないだろうが何とか復活して欲しい」とは渡辺住職。人々の命を守った言い伝えがあることを大切にしたい。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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