vol.32 津波は施設の直前まで迫った

 東日本大震災からもう間もなく4年目を迎えようとしている。語り継ぎたい思いがあって被害の大きかった東松島市を尋ねた。高台にあるケアハウスは、その後併設のグループホームを開設した。震災から今日までを追った。

海に浮かぶ孤島のようだった

ケアハウスのユニット風景。普段はおだやかな時間が流れている

ケアハウスのユニット風景。普段はおだやかな時間が流れている

 宮城県東松島市にあるケアハウス「はまなすの里」(社会福祉法人ことぶき会・伊藤寿志施設長)は、津波が押し寄せた仙石線沿いの東名・野蒜(のびる)地区から見ると高台に位置する。この日、二階建てのケアハウスには、入居者20人とショートステイ利用者の計39人と職員がいた。施設内に設けられた認知症通所介護の利用者10人と職員もいた。
 施設は一般家屋と違いコンクリートの建物だったので、震災直後には大勢の被災者が避難してきて、身を寄せ合って過ごした。
 地震とその後の津波の様子を伊藤純子副施設長に聞いた。
 「下から突き上げるような強い揺れのあと、横揺れが続きその間はまっすぐ歩くこともできない状態でした。ガチャガチャと物がぶつかる音が続いて恐ろしかったです。人間は本当に恐ろしいときは声も出ないんですね」
 建物は耐震構造だったので、地震による被害はほとんどなかったという。
 「津波がくるぞ。2階に避難するように」。突然、施設長の声が響いた。
 利用者と職員全員が2階に避難すると津波が押し寄せてきた。
 「ここは海から3キロも離れているし、ハザードマップでも津波浸水区にはなっていなかったので正直、半信半疑でした」
 2階から津波がじわじわと押し寄せてくる様子が見えた。それは、勢いがあるわけではなかったが、静かに田畑を呑み込んで進んできた。津波の勢いが止まったのは施設の5メートル手前だった。
 「気がつくと、施設は海に浮かぶ孤島のようになっていました」

大勢の人が避難してきた

伊藤純子副施設長

伊藤純子副施設長

 日が落ちる前には、近所の人々が続々と避難してきた。自衛隊に救助された被災者も運ばれてきた。施設内は130~140人ほどの人であふれた。完全に日が暮れると、ライフラインが途絶えた施設内は真っ暗になった。
 「大変なことになった」
 闇の中で伊藤さんは震えた。小学校1年生の娘の安否が分からないのだ。娘の通う小学校は海に近いところにある。そう思っただけでどうにかなりそうだった。
 「施設に来た多くの人に聞いても、誰も小学校がどうなったかを知りませんでした。考えるほどに自分が保てないと思ったので、母親としての気持ちはさておいて目の前の利用者さんたちのことを考えようと決めました」
 職員や避難してきた人の中には、伊藤さんと同様に子どもの安否確認ができない母親もいたが、泣き騒いだり帰らせてと訴える人は誰もいなかったという。
 まんじりとしないままに3月11日の夜が更けていった。次号に続く。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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