vol.26 介護の仕事を再び選んだ

東松島の海辺に立つ一本の墓標

東松島の海辺に立つ一本の墓標

 東日本大震災の津波被害が大きかった東松島(宮城県)の海辺に一本の墓標が立っている。ここに特別養護老人ホームがあり、大勢の死者を出したという。助かった利用者はわずか3人だとも聞いた。

施設の目の前が海だった

施設があった目の前の海岸は今も荒涼としている

施設があった目の前の海岸は今も荒涼としている

 海辺の特別養護老人ホームは「不老園」といった。海に面した立地が好まれて人気があったという。だが、地震後に押し寄せた津波で、特養とグループホームの利用者、58人中55人の命が失われた。助かったのは3人の利用者のみ。
 今夏、その3人を車で避難中に津波に襲われ、その後、奇跡的に助け出すことができたという一人の職員に出会った。職員の名は福田敏和さんという。
 福田さんが震災後に開設した「和花(のどか)」というデイサービスで話を聞いた。そう、福田さんは紆余曲折を経て、再び介護の仕事を選んだのだ。
 「震災の日、私は非番で家にいました。大きな揺れがひとまず去り、余震が続いていましたが、施設がどうなったか気になって自分の車で職場に向かいました」
 施設に到着した福田さんが見たのは、利用者を車いすや座席に座らせた状態で次々と車に乗せている職員の姿だった。福田さんも直ちに自分の車の後部座席に3人を乗せて発進させた。避難先は海から2キロほど離れた野蒜小学校だ。道路が渋滞し、普段の3倍の時間がかかった。
 「体育館が避難場所になっていたので、そこに利用者さんを下ろしました」
 3階建ての校舎は鍵がかかり誰も入れない状態だった。
 同じ頃、孫を迎えに来ていた伊藤壽美子さんは既に体育館に避難していた住民が「ここ(体育舘)は低いべ」といっているのを聞いている。その後、予感は的中する。

津波に襲われる

福田敏和さん

福田敏和さん

 福田さんは再び施設に戻り、新たに3人の利用者を車に乗せた。
 車を発進させ、野蒜小学校への道を行くのだが、津波に襲われた。
 「目の前に大きな波が迫ってきて、車がその波の上に乗った状態になりました」
 「危ない」。福田さんはとっさに窓を開けて水の中に飛び込んだ。一度水中に沈んで再び水面に顔を出した時、目の前に漂流物があってつかまることができた。
 幸いにも、流されたのは、民家がある方向だった。漂流物は民家の庭にあった木に引っかかって止まった。福田さんはその木に登り助かった。
 「助かったんですが、車に3人を置き去りにしたことになり、申し訳ない気持ちで心がつぶれそうでした」
 そして翌日、奇跡的に車の中から助け出せなかった3人に遭遇する。救い出したのは福田さんだった。
 「だから再び、介護の仕事をやろうと決意できたのかもしれません」と福田さんは感慨深げだ。次号に続く。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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