vol.59 あの時、この町で何が起きたか

 宮城県東松島市野蒜。2011年3月11日、巨大地震と大津波にのみ込まれたJR仙石線の旧野蒜駅を改修して「東松島市震災復興伝承館」がオープンしたのは2016年10月だった。オープンから1年、伝承館を訪れた。

止まったままの時計

震災復興伝承館の内部

震災復興伝承館の内部

 東日本大震災が発生した当時、旧野蒜駅は東名運河沿いに建っていた。海からは800㍍ほどの距離だ。しかし、大津波は駅舎を襲い、東松島市だけで1109人もの死者を出し、野蒜地区でも180人を超える尊い命が失われたという。
 「東松島市震災復興伝承館」(以下、伝承館と略)は東松島市が建設、業務運営は外部団体に委託している。伝承館副所長の二階堂一也さんは言う。
 「3・11に起きたことを次の世代に伝えていかなければなりません。県内外の多くの人に津波の恐ろしさを知ってほしいのです」
伝承館(左)の後ろには旧野蒜駅のホームと線路の一部が保存されている

伝承館(左)の後ろには旧野蒜駅のホームと線路の一部が保存されている

 伝承館の裏手には、当時のままのホームと線路の一部を保存している。伝承館の2階からホームを見下ろすと、震災前には駅を中心に町があり、にぎやかな人々の暮らしがあったことが彷彿される。今、海に近い運河沿いに残る民家はごくわずかだ。町は消えてしまったのだ。
 館内に入ってみよう。案内してくれたのはガイドの宮川純さん。1階のエントランスホールに建つと伝承館内のプレートを示した。横に赤い一本の線が引いてある。「3・7㍍・津波浸水線」だという。2階まで海水が押し寄せたという地元の人の話を思い出した。
 震災に関する資料の多くは2階に設置されている。パネル展示や津波の映像上映などで被災状況を伝えている。また、津波をかぶった券売機、野蒜小学校体育館の被災時間を示したままの時計なども展示されている。

祈りが聞こえる

「野蒜体育館の時計はその時刻を示したままです」とガイドの宮川純さん

「野蒜体育館の時計はその時刻を示したままです」とガイドの宮川純さん

 宮川さんは「津波がこの地を襲ったのは大きな揺れの40分ほど後でした。残された人々は多くを語りませんが、流される家の中から助けを求める人の声を聞いた人もいます」と言い、「だから」とことばを続けた。
 「このような災害時には、まず安全なところに逃げて命を守ることを優先してほしいです」
 2階には復興のあゆみや未来に向けての活動などを紹介したコーナーもある。「新たなまちづくりは高台で進んでいます。東松島の未来の姿も発信していきたいです」と宮川さん。

展示物に見入る来訪者

展示物に見入る来訪者

 伝承館には、オープン以来4万人を越える見学者が訪れている。国内はもとより、海外からも防災研修として来訪するという。
 市では近い将来、伝承館を含む旧野蒜駅周辺を記念公園にして、後世にメッセージを残す。
 記憶を風化させないと願う、被災地の祈りが聞こえるようだ。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

 

東松島市震災復興伝承館

 東松島市野蒜字北余景56―36。開館時間/9時~17時、無料。休館日/毎月第3水曜日、年末年始。電話番号0225-86-2985

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