vol.60 それでも残ったものがある

 宮城県東松島市に2016年10月にオープンした「震災復興伝承館」(10月号で紹介)。スタッフはみな震災を経験してきた人ばかりだった。一人の女性は津波にのみ込まれたが九死に一生を得たと教えてくれた。

津波にのみ込まれた

小峰香織さん

小峰香織さん

 「震災復興伝承館」の小峰香織さん。震災当時、東名駅近くにあった病院前の薬局に勤務していた。
 「あの日、病院の医師が、津波が来るから速く逃げろと言ってくれました。でも、なぜか、散らばった薬剤などを片付けていました」
 なぜ逃げなかったのか。
 「自宅は宮戸島のため、日頃から揺れたら高い所に逃げろと教わってきました。それにもかかわらず、私は家に帰ろうとしてしまいました」。パニックだ。
 野蒜海岸沿いに車を走らせた。宮戸島への橋を渡る前、伯母の家に寄った。伯母はいた。声をかける間もなく、「バキバキ」と音を立てて玄関から黒いものが迫ってきた。津波だった。伯母と2人で追われるように逃げたが、そのまま津波にのみ込まれた。

大けがにも気がつかなかった

小峰さんが勤務していた薬局の跡地。今は何もない

小峰さんが勤務していた薬局の跡地。今は何もない

 1回、2回と津波にのみ込まれ、なんとか顔を水面から出すと、目の前に畳が一枚浮かんでいた。力を振り絞ってその上に登ると、とんでもないことが判明した。下半身は何も身につけていないのだ。そこに容赦なく押し寄せる寒さ。畳の上で寒さを紛らわせるために立ったり座ったりしていると、がれきの向こうに家が見え、人がいた。助かった。
 家の中で身につけるものを探して借り、周辺のありったけの物を掛けて横になり一晩過ごした。
 翌日、水が引いたので野蒜小学校まで徒歩で向かう。腰には毛布をグルグルと巻いた。猛烈に寒かったのと、借りものの下着だったためだ。野蒜小学校の校舎にひとまず避難した小峰さん。腰に手を当てると血が出ていた。
 ようやく運ばれた病院で言われた。「内臓が見えている」。結局3カ月の入院生活を余儀なくされるほどの大けがだった。
 「家族6人全員が奇跡的に無事でした。私と妹は塩釜のみなし仮設で過ごしましたが、必ず宮戸島に帰りたいと思っていました」

宮戸島に渡る橋。この橋も津波で破壊され島は孤立した

宮戸島に渡る橋。この橋も津波で破壊され島は孤立した

 健康を取り戻した小峰さんは、地元で働きたいと思っていた。復興伝承館のガイドとなった今、自身の被災体験を語るという使命感を持っている。一緒に逃げた伯母は未だに発見されていない。
 「宮戸島で民宿と海苔の養殖をやっていた両親も全てを失いました。でも家族は残りました。だからやってこられたのだと思います」
 復興はどうですかと聞いた。
 「人々は外目には落ち着いているように見えても、心の傷は癒えていないようです」と小峰さん。今日も伝承館には元住民が、思い出話しをするために来るという。根気良く、それでいて明るい聞き手がここにいる。
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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