vol.12 あの日、そして今日も配達し続ける「弁当」

 仙台市にある地域支え合いグループは、30年以上にわたる配食サービスを展開している。震災当日も「こんな日だからこそ」と、闇の中弁当を届けた。命と心をつないだ話しを聞いた。

揺れの中、弁当を守った

震災当日120食の弁当を届けたあかねグループ

震災当日120食の弁当を届けたあかねグループ

 特定非営利活動法人「あかねグループ」(宮城県仙台市若林区)では配食サービス、介護サービス、居宅介護支援のほかに、ふれあいサロン活動などを行っている。登録会員は約300人、スタッフの総数は86人。週7日・13回、1日約200食(昼60食、夕140食)を届けている。
 2011年3月11日の東日本大震災発生時から、現在に至るまでのあかねグループの活動姿勢は一貫していた。食は命をつなぐものであることを改めて知らされた。
 「立っているのがやっとという揺れの中、厨房で弁当を作っていたスタッフは、出来上がったばかりの弁当を配膳台から落下しないように手で押さえていました。誰一人外に飛び出すことはなかったです」と、武田美江子代表。
 必死に守った弁当は、それでも10個ほど床に落ちてしまった。

いつも作っている弁当

いつも作っている弁当

 揺れがおさまった厨房の状態は惨たんたるものだった。すべてのものが床に落ち、冷蔵庫・調理台も移動していた。そんな中、誰からともなく「あと何個作ればいいの?」と声があがる。
 「停電しているし、こんな日だからこそ、お年寄りには一食が大切なはず。何がなんでも届けたい」、スタッフの想いは強かった。
 足りない分を何とかしようと、「卓上コンロが家にあったはずだから持ってきます」そう言って自宅に向かうスタッフがいた。何が何でも作ろうという気迫があったと武田さん。残っていた食材を使って当日の全員分(140食)の弁当を用意した。

闇の中、120食届ける

武田美江子代表

武田美江子代表

 配達をどうしようと考えている最中に、配達ボランティアをしている夫婦が来た。夫婦の自宅も被災したが、「こんな日だからこそボランティアが必要ではないか」と、家の片付けをそのままに来てくれたという。スタッフも手分けして届けることにした。みぞれまじりの雪が降り始めていた中を、数台の車、自転車、徒歩で向かう。
 「遠い人のところから届けましょう。安否確認もして下さい。そして、お年寄りには避難所に行くように伝えて」と武田さんはスタッフに指示を出した。
 真っ暗な闇の中、みな懐中電灯で足下を照らしながらである。

P09_chizu 「最後の配達を終えた車が戻ったのは午後7時40分でした。明日はとにかく朝9時に集合しましょうとだけ決めました」
 結局この日、120食を配達した。(次号に続く)
 (介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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