vol.58 塩害を乗り越え、今年も豊作を待つ

 東日本大震災による大津波は、穀倉地帯として知られる宮城県の仙台平野をのみ込んだ。その年、米作りをあきらめた多くの農家があった。だが、奇跡を起こした人々は田植えをし、米を実らせたのだった。

「米を作りたい」と思った

5月上旬に行った田植え。完全に機械化されている

5月上旬に行った田植え。完全に機械化されている

 宮城県東松島市野蒜(のびる)地区。今年の田植え時期、有限会社「アグリードなるせ」の田んぼで、大型の田植え機が粛々と苗を植えていた。田んぼの広さは約1㌶(100m×100m)。通常の田の何十倍もの広さで、農作業は完全に機械化されている。
 震災の大津波は、稲作が盛んな野蒜地区にも容赦なく押し寄せた。海水がひいた後の田んぼには、がれきとヘドロが堆積し、あらゆる生活物品が散乱していた。海水に2週間以上つかっていた田んぼは、海のにおいがしたという。一方、野蒜地区の米作りを生業とした農家の多くは、自宅を流失し仮設暮らしを余儀なくされていた。誰もが「塩害で3年間は米作りはできない」と思った。
 だが、安部俊郎さん(アグリードなるせ・代表取締役社長)は違った。どうしても今年、米を作りたい、と思ったという。
 「仮設で暮らす農家の人たちを見ていると、茫然自失ということばそのままでした。このまま1年も2年も農業ができなければ、農業から遠ざかってしまう」。

田植えができた!

アグリードなるせの安部俊郎さん

アグリードなるせの安部俊郎さん

 アグリードなるせは、震災当時約40㌶ほどの農地で米、麦、大豆などを作っていたが、そのうちの8割が海水につかった。そもそもこの土地は、地域の農家がまとまって共同で農業をする「集落営農」である。田んぼの面積を機械化に合うように広くし、水はけを良くし(地下にパイプを通した暗きょの設置)、米以外の農作物も作れるように耕地整備をして、新しい田んぼを作ってきた経緯がある。
 「暗きょを使えば田んぼの塩を取り除けるのでは」。田んぼに深い切れ込みを入れて水を張り、暗きょから一気に水を出すことで塩を流し出そうという考えだ。
 米をつくるという安部さんの思いに賛同し、仮設から田んぼに戻った農家の人々とボランティアでがれきを片付けた。農機メーカーの協力も得ることができた。土壌検査を終え、33ヘクタールの田んぼから塩を除去することにした。念願の田植えは2011年5月26日。そして10月1日には稲刈りが行われた。
 
アグリードなるせの店舗内。野蒜で収穫した農産物の加工品を販売している。0225-86-2535とHPから注文可能

アグリードなるせの店舗内。野蒜で収穫した農産物の加工品を販売している。  
0225-86-2535とHPから注文可能

震災後、アグリードなるせは生産物の加工施設を作り、さらに販売までのシステムを作りあげた。現在では約100名(半数は被災農家)から農地を預かり、100ヘクタール(東京ドーム23個分)で生産活動を行っている。
 今年の稲は、「夏場の長雨が痛手です」と電話で教えてくれたのは若手の遠藤大輔さん。次の世代が確実に受け継いでいる。
(介護福祉ジャーナリスト・甘利てる代=八王子市)

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