復興を追う

vol.58  塩害を乗り越え、今年も豊作を待つ

vol.58 塩害を乗り越え、今年も豊作を待つ

2017年9月7日号, 復興を追う 2017年9月7日 at 16:42 Comments are Disabled

 東日本大震災による大津波は、穀倉地帯として知られる宮城県の仙台平野をのみ込んだ。その年、米作りをあきらめた多くの農家があった。だが、奇跡を起こした人々は田植えをし、米を実らせたのだった。 「米を作りたい」と思った  宮続きを読む

vol.57 東松島のパン屋の2人(2)

vol.57 東松島のパン屋の2人(2)

2017年7月20日号, 復興を追う 2017年7月20日 at 18:32 Comments are Disabled

「私だけが生き残った」と思った  震災後11カ月で「手作りパンで地元を元気にしたい」とオープンした小さなパン屋、宮城県東松島市東名地区の「ぱぱいやぱんや」(6月8日号で掲載)。同店を運営する2人の女性から震災当日の話を聞続きを読む

vol.56 東松島のパン屋の2人(1)

vol.56 東松島のパン屋の2人(1)

2017年6月8日号, バックナンバー, 復興を追う 2017年6月8日 at 23:51 Comments are Disabled

手作りパンで地元を元気に  東日本大震災の津波被害が大きかった東松島市東名地区(宮城県)に震災後、小さなパン屋が誕生した。手作りパンで、人と人をつなげたいと、パンを焼き続ける2人の女性に出会った。 自宅の一角でオープン 続きを読む

vol.55  全てを失ったけど「命があって、それだけで満足です」

vol.55 全てを失ったけど「命があって、それだけで満足です」

2017年4月6日号, 復興を追う 2017年4月7日 at 16:00 Comments are Disabled

 3月11日。東日本大震災から6年が経ち、7年目を迎えた。あの日、とっさの判断で野蒜小学校体育館(宮城県東松島市)ではなく裏山に逃げた小山美音子さんは、静かに失った人々を思った。 体育館のある場所は「低い」と思った  「続きを読む

vol.54 お寺だからできる継続的な支援

vol.54 お寺だからできる継続的な支援

2017年3月2日号, バックナンバー, 復興を追う 2017年3月2日 at 23:44 Comments are Disabled

 あの日(3・11)が近づいてきた。震災直後からボランティア活動を行い、またボランティアのコーディネートも行ってきた宮城県仙台市のお寺(西本願寺)は、現在も継続的な支援活動を展開している。 震災から1週間後にセンターを立続きを読む

vol.53 高校生「語りべ」が見つけた未来

vol.53 高校生「語りべ」が見つけた未来

2017年1月19日号, 復興を追う 2017年1月19日 at 05:43 Comments are Disabled

 髪の長いその女子高生は駅の改札から笑顔で出てきた。石巻からの学校帰りだった。彼女が卒業したのは宮城県東松島市立野蒜小学校。東日本大震災が起きたあの日、小学校6年生だった少女は、現在「語りべ」として活動を行っている。 記続きを読む