vol.75 分倍河原歴史散歩 -府中市-

 歴史の節目となった戦の場を静かに歩く

住宅街の祈りの塚

JR南武線・京王線「分倍河原駅」からスタートし、歴史を伝える場所をたどり駅に戻る約1時間半のコース。
駅前で今回のコースの主役にご挨拶。「新田義貞像」。鎌倉幕府が終わる転機となった「分倍河原の戦」を率いた武将は、馬にまたがり刀をふりあげた勇ましい姿で現代の駅前に立っている。
駅を背に、かえで通りを南に歩くと、右に税務署、左は畑。畑のおかげで空が大きくて、気持ちいい。中央自動車道手前で左折し「三千人塚」へ。分倍河原の戦で亡くなった3000人が埋葬されているという伝承からの名称だが、実は地元有力者の塚(墓)が点在した場所とのこと。戦の犠牲者とも重ねて信仰の対象として守られてきた。

梅の香に包まれて歩く

道を戻り、「雑田掘(ぞうだぼり)緑道」を歩く。雑田掘は府中用水の分水路のひとつ。短いが整備された緑道で、府中市の花である梅の木や「市民愛の木」のひとつ、サルスベリなどが道の脇に植えられている。
中央自動車道に沿って西に進み、「新田川分梅公園」へ。「分倍河原古戦場」の碑が建つ。1333年、新田義貞は北条泰家率いる鎌倉幕府軍と戦い、一度は敗走したが、数日後に加勢を得て分倍河原で勝利したという。150騎ほどで旗揚げした軍勢が、鎌倉幕府に不満を持つ武士たちの加勢で最終的に20万になったと書いてあるものを読んだが、想像もつかないなと思いながら現場に立った。

崖線沿いを歩き古墳へ

古戦場跡から少し西に行ってから北上し、御猟場道(おかりばどう)を通って駅方向へ向かう。分梅駐在所交差点に町名「分梅」についての碑がある。この土地は多摩川の氾濫(はんらん)や土壌の影響で農作物の収穫が少なかったため、民に支給する口分田(くぶんでん 律令制において民に一律支給された農地)を倍にしていたことに由来する説もある。「分倍」「分配」「分梅」と呼ばれてきた。
最後に、住宅街に忽然とあるのが面白い「高倉塚古墳」を見学してから、駅へ向かった。

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