vol.51 トンネル散歩 -武蔵村山市-

資材を運んだトンネル 今は穏やかな毎日の道

遺跡の山の線路

01_P151_aru_01 狭山丘陵の尾根にある吉祥山(きちじょうやま)は、1万数千年前の旧石器時代から、縄文、弥生、古墳、平安時代にかけての生活の痕跡が発見されるなど、山全体が遺跡として知られる。そして、100年近く前に敷かれた線路跡が、自転車道路として残る。このトンネルを中心に、その周辺を歩いてみた。

貯水池建設のために

 1921(大正10)年の村山貯水池(多摩湖)建設に際し、多摩川の水を貯水池にひく導水管敷設のために、線路が敷かれた。工事が終了し撤去された後、1929(昭和4)年になって、今度は山口貯水池(狭山湖)の堤防を造る砂利運搬のため、線路が復活。28台のアメリカ製機関車と、450輛以上のトロッコが活躍していたという。
 貯水池が完成して廃止された後、戦時中の一時復活を経て、現在は自転車道路になっている。自転車だけでなく徒歩通行もできる。トンネルは5つあるが通行可能なのは4つ目まで。10月~3月の冬期は7時~17時まで開いているが、それ以外の時間はシャッターが閉まる。
 4つのトンネルひとつひとつは入り口から出口が見えるほど短いが、それぞれ、トンネルを抜けて現れる雰囲気が微妙に違うのが面白い。

祈りの土地を歩く

 周辺を歩くと、小さな古い社や、地蔵尊、馬頭観音などがあちこちにあり、暮らしに根ざした祈りを感じられる。
 武蔵村山市の有形文化財に指定されている「指田日記」には、江戸末期から明治初期のこの地の暮らしの様子が書かれており、著者の指田摂津正藤詮(さしだせっつのかみふじあきら)(1795~1872)の家は、代々農家でありながら陰陽道に従事していたという。中国古代の陰陽説・五行説に因る信仰的思想である陰陽道は、祈祷や占いを通した生活の具体的指針として重んじられていた。
 こうした武蔵村山市の歴史は、トンネルからも近い「市立歴史民俗資料館」(9時~17時、第1月曜・第3水曜休館、入館無料)の展示にも詳しいので、歩き出す前に寄っておきたい。

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