vol.40 多摩湖周遊 東大和市

走っても歩いてもよし 緑に囲まれた多摩湖

故郷は湖底に沈み

01_P128_arucoco_02 明治時代、人口が一気に増え、発展も加速したため、東京の水需要への対策が深刻になった。1912年(明治45年/大正元年)に村山貯水池(多摩湖)建設計画が決まった。調査、用地買収のための測量などがはじまり、日露戦争後の不況という時代背景もあって苦しい生活をしていた住民たちは、当初は前向きに移転を受け入れていたようだ。しかし、土地買収価格のあまりの低さが明るみになることで、反対運動も起こったという。

水を囲む深い緑

 多摩湖の南側にある「東大和市郷土博物館」で見た展示資料によると、当時の土地買収価格は、宅地1坪あたり1・6円。当時の物価のおよそのものとして併記されていたのが、酒一升1円、タバコ20箱1円。自転車50円~150円。確かに、買収価格は低かったのだと思えた。湖底に沈んだ160軒の、それぞれの家の人たちのそれまでの暮らしや、移転に至る思いを、100年が過ぎた今改めて想像しながら歩いた。
 整備された自転車道を、サイクリングやジョギングをする人たちに時々抜かされながら、ゆっくり歩く。水質保護と景観維持のためにある貯水池林の緑は深く、舗装道路なのに森の中を歩いているような爽快さ。

歴史を積み重ねて

 西側はワイルドな雰囲気が残る。「玉湖(たまのうみ)神社」まで歩いてみた。水神を祀るため昭和9年に竣工したが、現在は閉鎖されている。ただ、明治神宮の造営や日光東照宮の修復に携わった大江新太郎氏の設計という建物は、小さいながら威厳があり、心ひかれる。この玉湖神社のさらに西側に、貯水池林の植林や育成に尽力したことでも知られる儘田吉之助氏設計の「狭山富士」があったらしいが、今は頂も崩れて木が生い茂り、面影はない。
 東側は、都立狭山公園に面して人出も多い。見晴らしも良く、えん堤上通路をジョギングする人たちが気持ち良さそうだ。1978年(昭和53年)4月16日に日本初の女子フルマラソン大会が行われたことを記念した「水の精像」も立っている。

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