vol.6 立川古いもの探し

先人の暮らしを思い のんびり散歩

諏訪神社から出発

01_P059_arucoco_03 立川市の、富士見町・柴崎町あたりを歩いた。多くの人が行き来し一日中賑やかなJR立川駅から、徒歩10分ほど離れるだけで、喧騒と無縁の住宅街が広がる。
 1200年の歴史がある諏訪神社では、毎月第4日曜日に骨董市が開かれる。蕎麦猪口や墨壷や古い本などを見て回ってから、街の中に残る「古いもの」を探してみようと歩きだす。諏訪神社からすぐのところに、立川で長い伝統がある獅子舞の練習場「獅子舞御宿」がある。昭和の香りのする建物は見ているだけでほっとする懐かしい雰囲気だ。このすぐ脇には、かつて八幡神社の参道に植えられていた大ケヤキが、樹齢700年の悠々とした姿を誇っている。

水の流れをたどって

 江戸時代、立川エリアには柴崎村と砂川村という2つの村があった。水田は少なく畑が多く、ほとんど幕府の直轄地でありつつ、尾張藩の鷹場があったために尾張藩支配下にもあったというのが面白い。多摩川の鮎を将軍家に献上するという役目も負っていたとか。こうした立川の歴史は、歴史民俗資料館で多彩な資料とともに知ることができる。
 1654年に玉川上水が開通してから3年後の1657年、砂川村に砂川分水が引かれる。かたや柴崎村には、その80年後の1737年になってようやく柴崎分水が引かれた。その間、柴崎村の人たちは幕府に対して「柴崎分水訴願状」を出していたという。生活用水が引かれることを待ち続けた柴崎村の人たちは、ようやくそれが実現した時どんなに喜んだことだろう。
 残念ながら暗渠になっているところも多いが、柴崎分水の流れは街の中のあちこちに今も見ることができる。中央線の上を「懸け樋」を通って流れるという珍しい場所もある。江戸時代から比べれば、畑も減り、道も家も何もかもすっかり変わっただろうけれど、この水だけは数百年昔からずっと流れていた。それを思うと、なんとも不思議だ。生活の中で、身近な水を大切にして暮らしていた昔の人たちの姿を思い浮かべて、分水をたどりながら歩くのもいい。

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