vol.47 野火止用水 -東村山市-

雨の日も晴れの日も心地良い用水沿い

涼風吹く伊豆殿堀

01_P143_aru_01 その昔、鎌倉街道や江戸街道など9本の道が交差していた「九道の辻」からすぐの八坂駅は、野火止用水が流れる上に見上げるように駅の高架のプラットフォームがあるのが面白い。この後、用水はすぐに暗渠になるが、その上の歩道をぶらぶらと歩いて、さらに野火止用水沿いを行ってみた。
 野火止用水は、立川市にある東京都小平監視所内の玉川上水との分岐点から、埼玉県新座市を経て、志木市の新河岸(しんがし)川へと至る24キロを流れる。現在の埼玉県新座市野火止の地が、かつて「野火留村」といい、当初は「野火留用水」という表記だったようだ。開削は1655年(承応4年)。川越藩主で、徳川4代将軍家綱を支えた幕閣のひとり、松平伊豆守信綱により開削されたことで、「伊豆殿堀」とも呼ばれる。

水のきらめきとせせらぎ

 新青梅街道を超えると、用水を見ながら歩くことができる。車の通りはそう多くない。いくつもある小さな橋から見る趣の違いが楽しい。水は澄んでいる。戦後、生活排水によって汚染され、また、水不足による分水中止などを経て、歴史的な用水を守り、水をきれいにしようという機運が高まり、今のようなきれいな水になったと知る。色とりどりの花も咲いていて、よく手入れされている。

大ケヤキに守られて

 途中の「恩多野火止水車苑」へ。1782年から1951年までここに大きな水車があったことを知らしめる。公園の要素を盛り込んで新たな水車が設置されている。緑が茂り、涼しく、東屋もあって、ひとやすみには最適だ。
 水車苑からさらに行き、運動公園通りとの交差点のところに「万年橋のケヤキ」がある。用水を掘る時にすでにあり、その下を掘り進んだとも、用水ができた時に植えられて橋づたいに根が延びたとも言われ、真偽のほどはわからない。しかし、立派な根が太く張って、橋のように用水をまたいでいる姿を見ると、なぜかとても心強い気持ちになる。一見の価値がある。

Comments are closed.