vol.54 中島飛行機跡地 -武蔵野市-

軍需工場があった町を平和を祈りながら歩く

戦争の歴史をたどる

01_P156_aru_11 現在の都立武蔵野中央公園、都営住宅、武蔵野市役所を含む広大なエリアにあった中島飛行機武蔵製作所。第二次世界大戦時、ゼロ戦のエンジンなどを製造していて、戦争末期に空爆を受けて壊滅状態になり、8月15日の敗戦翌日には解散となったという。この跡地と、工場への物資輸送のための引き込み線があった場所などに、武蔵野市は「平和案内説明板」を設置している。説明板は全部で10枚(地図上の(1)から(10))。

説明板を読みながら

 JR三鷹駅北口を出て、玉川上水沿いを行くと「ぎんなん橋」。ここに「(1)工場引込み線橋台跡」の説明板がある。引込み線は、工場同様空爆を受けたが、戦後の1951年(昭和26年)、工場跡にできた「東京スタジアム グリーンパーク球場」への観客輸送線路として敷き直された。野球場は1年で無くなり、線路も後に無くなるが、現在は遊歩道として整備されている。線路を思わせる緩くカーブした道を楽しみながら歩く。

戦争と飛行機と野球と

 日本軍の高射砲6門があった「(2)関前高射砲陣地跡」「(3)工場引込み線跡」は遊歩道に。五日市街道沿いの、延命寺は「(4)平和観音菩薩像と250kg爆弾の破片」、源正寺は「(5)倶會一處(くえいっしょ)の碑」があり、お参りをした。
 都立武蔵野中央公園の南側に、長崎の被爆クスノキ2世と、「武蔵野市民の木」ハナミズキが立つところに「(6)平和の木」の説明板。ここから市役所の方に向かうと「(7)工場正門跡」「(8)東京スタジアム グリーンパーク球場跡」。野球場が完成したときは「東日本一」の大きさが評判になったらしいが、プロ、大学、高校野球あわせて66試合開催しただけで、1シーズンで閉鎖。都心からの交通の不便さと、球場の砂埃などが理由だったそうだ。
 さらに、武蔵野市陸上競技場の「(9)運動場跡」。第四中学校正門前の「(10)第一青年学校」まで歩いて、10枚の説明板すべてを読む。戦争の歴史を胸に深く刻む2時間ほどだった。

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