Vol.34 自然と歴史を歩く ー 狛江市 ー

水と緑を守る狛江市 緑地から多摩川へ

改札を出てすぐの緑

01_P117_arucoco_02 小田急線狛江駅北口を出て左。目にもさわやかな緑が見える。これほど駅に近い緑地も珍しい。正式名称は「狛江弁財天池特別緑地保全地区」。原則、毎月第2日曜日に開放されている。地元の古刹「泉龍寺」に隣接するここは、大正時代に料亭ができ、荒木貞夫陸軍大将の邸宅があった。かつては湧水で満たされていた弁財天池から水をひく「ひょうたん池」を囲み、シラカシ、スダジイ、カヤ、ヒマラヤスギといった木々と、モウソウチクの林など、約80種類300本を超える樹木がある。市民による地道な活動で守られている。

市民が守る水と緑

 1962年に決定された都市計画で、駅前広場と道路計画にこの緑地が含まれた。そして狛江市が駅前再開発計画案を発表した1982年から、市民による保全運動が盛んになる。1986年に緑地を自然公園とする請願が可決され、1987年に都が「狛江弁財天池緑地保全地区」として指定。「狛江弁財天池特別緑地保全地区市民の会」の皆さんが現在に至るまで、市と協力して緑地管理を行う。メンバーの金光(こんこう)桂子さんは、「ここに来た日は、うちに帰っても気分がぜんぜんちがう」と、緑地が暮らしの中にある喜びを話してくれた。

古民家、歌碑、古墳へ

 六郷さくら通り沿いに「むいから民家園」。江戸時代後期に建築された住宅で、市内の子どもたちのためのイベントなども行われる。ここからほど近いところに「兜塚古墳」がある。古墳時代、高句麗からの渡来人が住んでいて、高句麗の別名「高麗(こま)」の人が住む「入り江」ということから、「狛江」の地名が生まれたのではともいわれる。
 万葉通りには「万葉歌碑」がある。1805年に建立された松平定信筆による歌碑が洪水で流されたため、松平定信を尊敬していた渋沢栄一の尽力などで大正13年(1924年)に再建されたもの。
「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき」という一句が漢字で刻まれている。

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