vol.62 絹の道 -八王子市- 横浜港、そして世界へ 絹が運ばれた道を歩く

資料館からスタート

 京王線南大沢駅から橋本駅行きのバスに乗って約10分、「絹の道入口」で降り、柚木街道を渡って北へ。大栗川にかかる御殿橋のすぐ右に「八王子道道標」がある。1859年(安政6年)の横浜開港から始まった、輸出用生糸が運ばれた道の道しるべ。建てられたのは1865年(慶応元年)。
 ここから徒歩約5分の「絹の道資料館」へ。生糸商、八木下要右衛門家屋敷跡に建てられており、ここにはかつて外国人をもてなした異国風の異人館もあったそう。展示では、生糸商人が多く生まれ、豊かになったこの土地「鑓水(やりみず)」の歴史資料が見られる。

幻の停車場を後にして

 資料館を出て北へ。二股に分かれる道の右を行くと、市の史跡に指定されている、1・5㌔の「絹の道」になる。角には石塔が並ぶ。大きな3つは、左が庚申塔(1798年)、中央が秋葉大権現石塔(1814年)、右は供養塔。さらに右の比較的新しい石塔は、「鑓水停車場」の記念碑だ。鑓水停車場とは、大正末期に計画され、相模原まで引かれる予定だった「南津(なんしん)電鉄」の幻の停車場のこと。「南津」は、南多摩郡関戸と津久井郡川尻を結ぶとしてついた名だという。

歴史を知る緑の道

 「鑓水」の由来は、多摩丘陵の斜面に竹槍のように尖らせた青竹を打ち込んで飲料水をとる方法「ヤリミズ」から。生糸の輸出で豊かになり、アメリカやヨーロッパから「江戸鑓水」と呼ばれるほどのブランドだった。世界恐慌や生糸市場の衰退で、先に触れた南津電鉄も開通に至らなかったわけだが、隆盛も衰退も、この静かな「絹の道」だけは、すべてを見てきたのかと思うと感慨深い。木々のざわめきすら、現代の私たちに何かを語るように思われる。
 当時の豪商が、自らの資金を誇り、村の繁栄を願って建てた「道了堂」の跡がある大塚山公園に上る。峠から見下ろす景色は、秋晴れの澄んだ空気の中で素晴らしかった。ここから住宅街を抜け、歩いて30分ほどでJR横浜線片倉駅に着く。

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